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コーデックス/ゲリラ戦術
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足を止めることなき戦い:T・E・ロレンスのゲリラ戦術

アラブの反乱は当初、メッカと多数の紅海沿岸の港の確保に成功したが、1916年の終わりまでに、少数であった反乱軍の部隊は完全な撤退を余儀なくされた。オスマン帝国の正規軍が近づいており、ベドウィンと彼らに雇われた部隊ではどうあがいても対抗することができなかったからだ。T・E・ロレンスは、ベドウィンは勇猛果敢な戦士ではあるものの、機関銃や大砲を装備し、近代化されたオスマン帝国軍と正面から戦って勝利を収めることはできないと理解していた。


ベドウィンは軍事訓練を受けたことがなく、塹壕や陣地の要塞化については何も知らず、最新兵器を扱ったこともなかった。飛行機を見ただけでも混乱し、多くが安全な退避壕に隠れることを拒んだ。ベドウィンの強みは猛烈な奇襲攻撃にあり、ロレンスはゲリラ戦法を取るように首長たちを説得した。彼らはオスマンの前哨基地や、守りの薄い駐屯地、なにより最重要の補給線であるヒジャーズ鉄道を、一撃離脱の戦術を駆使して襲った。鉄道線の周囲でオスマンのパトロールを奇襲し、オスマン帝国側の小さな町に略奪を仕掛け、補給基地を焼き討ちした。


ロレンスは、戦利品の獲得にこだわるベドウィンが、長期的で複雑な戦略に従うことはできず、外国の武器の扱いや部隊命令を教え込むには、その性格があまりに奔放すぎると考えていた。ベドウィンは隊列を組まず、連携もなく個々に戦ったが、一度解き放たれれば、敵の守備隊を圧倒するか、脱線させたヒジャーズ鉄道やオスマンの補給地点からあらゆる戦利品を奪いつくすまで止まらない、苛烈な戦士たちであった。破壊よりも攪乱、打撃よりも鋭い一刺しを得意としていた。彼らの戦いには、将校も、塹壕も、酒もなかった。代わりにあったのはラクダの背にまたがる長い砂漠の旅と、焼けるような砂漠の熱風との戦い、そして休みなく繰り返される敵への奇襲であった。

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