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シャンパーニュ=アルデンヌ.jpg

シャンパーニュ=アルデンヌの失われた村々
THEY SHALL NOT PASS


丘陵の多いシャンパーニュ地方は戦略的な重要地で、第一次世界大戦中何度も争われた。激戦地となったのが、ユリュ、ペルト=レ=ユリュ、ル・メニル=レ=ユリュ、リポン、タウールの「失われた村々」にまたがる前線である。1915年の連合国軍の攻勢では、ビュート・ド・タウール(タウールの丘)が主目標となり、タウールの村と、近くの「歯ブラシ」の森とナヴァラン農場で激しい戦闘が行われた。


1917年4月、フランス軍総司令官ロベール・ニヴェルは、自らの指揮するシュマン・デ・ダームに沿った仏英合同の大攻勢により、ドイツ軍の防衛線に対し48時間で決定的な勝利を得られると宣言した。4月17日、主攻勢を支える攻撃がエーヌ川のさらに下流で行われ、シャンパーヌ丘陵の戦いと呼ばれるこの戦いで、タウールはふたたび戦火にさらされた。1917年秋、マルメゾンの戦いを目前にして、フランスとドイツの兵士がまたもビュート・ド・タウールで交戦し、互いに夜間の塹壕強襲を繰り返して絶え間なく争った。


ニヴェル攻勢は塹壕戦の開始より最大となる占領地を勝ち取り、戦術的には成功を収めたが、戦略的な勝利と、ドイツ軍防衛陣地の撃破は成し遂げられなかった。フランス軍では兵士の間で大規模な反乱が起き、ニヴェル将軍はペタン将軍に置き換えられた。大戦を通じてシャンパーニュ=アルデンヌの失われた村々は破壊しつくされ、二度と再建されることはなかった。現在、タウールの村の後には教会の祭壇のみが残されている。

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