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GEWEHR M.95(エリート)

イタリアの流行歌「Ta-Pum」(タパン)は、大戦においてオーストリアのGewehr M.95を指す言葉となった。Gewehr M.95は第一次世界大戦においてイタリア兵が敵として対面することになったライフルの代表格である。この曲の起源ははっきりとしていないが、スイスアルプスを貫くサン・ゴッタルド・トンネルの建設に従事した鉱員によって歌われたのが始まりで、「Ta-Pum」は発破の爆発音を現した擬音語だとされている。大戦中のイタリア兵は、それをオーストリア軍の砲撃とGewehr M.95の射撃音に置き換え、自分たちのものとして歌った。彼らの戦った山中では、まず「タッ」と銃弾の音が届き、その後、山肌を反響した「パン」という発射音が届くのである。「Ta-Pum」が本当に流行したのは第一次世界大戦中であったとも言われる。兵士たちはどちらの陣営においても、恐怖や退屈を紛らわし、士気を保つのに歌を利用した。「Ta-Pum」もその一つであり、さまざまなバリエーションの中でもよく知られる歌詞の一節は次のようなものである:


そこかしこには死者の大隊


されどミラノに怠け者は数知れず


奴らから俺たちのパンが届くや否や


狙撃手どもから射撃も届く


この歌には過去から現在まで膨大な数のバリエーションが存在するが、どのバリエーションでも「タパン、タパン」の繰り返しが歌詞の合間に散りばめられている。第一次世界大戦を歌った歌詞は突撃部隊アルディーティの一員であったニノ・ピッチネリが1915年の攻撃前夜に書き上げたものとされる。戦後、その夜の事をインタービューされたピッチネリは次のように答えた、「私たちの塹壕はオーストリアの塹壕から数十メートルしか離れていなかった。そして私は自分の魂のすべてを込めて歌を歌ってやった。陰惨な砲撃の交わし合いに死を導くロケットの輝き、負傷者たちの呻きに容赦ない狙撃手の射撃。その合間で心に響く、絶望に満ちた歌が生み出されたんだ」。今日、「Ta-Pum」には、バチカンでのグレゴリオ聖歌様式を含め、1,200を超える収録版が存在する。数年前にはニノ・ピッチネリの生誕地であるキアーリの町で、その作詞を記念して通りに名前が付けられている。

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