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MADSEN軽機関銃(エリート)

1904年2月、ロシア帝国と大日本帝国の間で満州と朝鮮半島の権益をめぐり戦争が勃発した。日露戦争は、両陣営ともに塹壕と鉄条網、近代的な砲撃部隊を用い、そして当時最新であった重機関銃が1年半続いた戦いの最中に数を増していったなど、さまざまな意味で、その10年後に起きる第一次世界大戦の様相を予感させるものであった。ロシアと日本はともに、当時としては唯一の軽機関銃であった最新のデンマーク製M1902 Madsen機関銃を買い付けたが、日本にMadsenが納入されたのは1904年、05年の戦争終結後であった。ロシアは約1,200丁のMadsenを購入したが、終戦前に手にできたのは数百丁に留まった。デンマークは中立国のため戦争当事国への武器販売は禁じられており、先の購入はいずれも複雑な迂回路を用いた秘密裏のものであった。そのため、この時の正確な数字は知られていない。ロシアが手にしたMadsenの多くは満州のコサック騎兵隊に支給された。1905年、4丁のMadsenが日本軍の攻撃を退けたとされ、うちの一つは一丁だけで2万7千発もの銃弾を放ったとされる。しかし、戦争は1905年9月、日本の完全勝利に終わった。


世界の列強国のすべてが日露戦争の先行きと、時の最新兵器による実戦に注目し、Madsenの活躍はフランスのM1909軽機関銃をもたらす刺激になったとされる。ロシアでは日露戦争の敗北を受けて反乱や革命が起きるようになり、ロシア帝国軍はその鎮圧にMadsenを用いた。ツァー(皇帝)はついに限定的ながらもドゥーマ(議会)と軍の改革に乗り出し、これは第一次世界大戦においてオーストリアとドイツとの戦いに挑む力ともなった。しかしロシアの社会的問題が解決されることはなく、1917年のロシア革命につながる芽が育まれていったのである。


Madsenは第一次世界大戦を戦った多くの国で実戦に用いられた。ドイツは約5千丁を購入し、「Musketen Batallione」(マスケット大隊)に最初に配備され、その一部は1916年のソンムの戦いで戦っている。LMG 08/15などの新型銃が登場すると、ドイツ軍内のMadsenは山岳隊や突撃歩兵隊に再配備された。

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