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コーデックス/T・E・ロレンス
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アラビアのロレンス

トーマス・エドワード・ロレンスは、大戦が始まる前に、イギリス外務省によりパレスチナ地域に送られ、近東の文化を学んだ。1914年12月、イギリス陸軍がオスマン軍の恒常的な脅威にさらされるスエズ運河の守りにあたる中、カイロへと転任を命ぜられた。パレスチナの周辺部を調査し、中東での作戦に必要な地図を集めることがロレンスに与えられた任務であった。


ロレンスはまた、アテネ、ガリポリ、ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)、カイロ間を行き交う電信解読の監督も行っていた。ほどなくして独立を目指すベドウィンとの秘密交渉に関わり、イギリスの武器と資金を反乱軍に提供した。


ロレンスは後にアラブの反乱の指導者であるフサイン・ビン・アリーの息子ファイサルの個人的な友人にして顧問ともなった。カーキ色の軍服からアラブの伝統衣装に着替えたイギリス軍士官の誕生である。大戦中はオスマンの前哨基地とヒジャーズ鉄道を攻略する反乱軍に同道した。


自身の国による秘密外交の現実に幻滅していたロレンスは、反乱軍がダマスカスを押さえるとまもなく中東を離れた。


当時のメディアはロレンスの物語をロマンと共に語り、自身の望みとは裏腹にロレンスは時の人としてもてはやされた。


ロレンスの功罪は多くの議論の的となっている。イギリスの国益のために軍隊を作り出した工作員としてロレンスを糾弾する者もいれば、戦前からのアラブ地域での活動と、戦後の平和交渉に注いだ努力を挙げて、心からアラブ民族のためを考えていたと称える者もいる。


46歳での早すぎる死もまた、ロレンスという人物の謎を深める要素のひとつである。もはや解き明かされることのない数多くの謎をはらみながらも、ロレンスの伝説は今なお語り継がれている。


ちなみにロレンスはオートバイに乗っている最中に、自転車を避けようとして事故り、それが原因で1935年5月19日に死亡している。

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