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時限信管式のフラググレネードで、ダメージが大きい。

|BGCOLOR(#555):COLOR(White):200|400|c
|BGCOLOR(#fc2):COLOR(Black):分類|''兵科共通・[[戦車兵・パイロット]]・エリート兵([[警戒兵]]) / [[グレネード>兵科共通/グレネード]]''|
|解除条件|初期解除|
|アイテム数|1|
|補充タイマー 通常/弾薬箱あり|49秒/14秒|
|ダメージ(対人威力)|100|
|内側爆発半径|1.75m|
|外側爆発半径|6.3m(ドイツ:7.0m)|

*特徴、アドバイス、補足 [#tips]
[[突撃兵]]等の4通常兵科に加え、[[戦車兵・パイロット]]、[[エリート兵]]が使用する基本的なグレネード。
同盟国側だと&color(Red){柄付きグレネード};となる。
投げて着弾数秒後に爆発をする。
グレネードはすぐに投げてしまうため、構えることによって爆発時間調整することはできないので注意。
汎用性が高く、前線の硬直状態で敵の密集地帯に投げたり、時間経過による爆発を利用して来ると予想される場所に投げるのも手。
うまく利用して敵を翻弄させてやろう。
*ゲーム内映像 [#image]
#htmlinsert(youtube,id=QObTi4JFLic)
*実物解説 [#y9379ca8]
そもそも「手榴弾」と言うジャンルの始まりは第一次世界対戦時、塹壕やトンネルの掘削等に使われていた[[ダイナマイト]]を木の棒や板切れに紐や針金等で括り付け、点火して投げ込んだという急拵えの攻撃手段の一つだった。
そもそも「手榴弾」と言うジャンルの始まりは第一次世界大戦時、塹壕やトンネルの掘削等に使われていた[[ダイナマイト]]を木の棒や板切れに紐や針金等で括り付け、点火して投げ込んだという急拵えの攻撃手段の一つだった。
それが思った以上に効果的な場面を何度も生み出した事から、各国で歩兵の装備として如何に敵に効率的に被害を与えられるか、使用する際の安全面や信頼性が研究され始め、今日に於ける様々な手榴弾の基礎となっていったのである。
**ミルズ型手榴弾 Mills bomb(イギリス) [#a58c2f70]
&ref(./Mills bomb.jpg,nolink,50%);
1915年にイギリスで開発された手榴弾である。
ゴルフクラブのデザイナーであったウィリアム・ミルズ(William Mills)が発明者の、1915年にイギリス軍に正式採用された防御型手榴弾である。
非常に優れたアイデアと性能であったため特許権の取得を待たずに採用されたという経緯があり、スプリングで信管を打撃・着火する方式と安全ピンや安全レバーという近代的手榴弾の3つの基本要素すべてを組み合わせて採用した世界初の手榴弾であることが特筆される。
外見は卵形で、取り扱う際の滑り止めとして表面に溝が刻まれている。信管を打撃する撃針は、F1手榴弾のような回転運動(ネズミ捕り式)とは異なり、直線運動を行う。安全レバーは弾殻の外側に沿うように成形され、撃針の後端を保持している。弾殻の肩部には、炸薬を充填するためのネジによる栓が設けられている。
また、弾殻の底部にもねじ込み式の栓があり、信管はここから組み付けられる。有効殺傷範囲は半径10mで、歩兵銃の銃口と手榴弾本体にアタッチメントを装着することにより小銃擲弾としても使用でき、この場合は150m先に発射することができる。
初期には小銃擲弾として使用する場合を考慮して、着火してから起爆まで7秒かかった。しかし、7秒という時間があまりにも長かったため、第二次世界大戦でのドイツ軍によるフランス侵攻の際、大陸に派遣されたイギリス軍兵士は手榴弾を投げ返されることが多かった。
そのため、後の改良で起爆時間が4秒に短縮された。
1915年以降、低価格化・火薬充填の簡易化・防水化などさまざまな改良が加えられた結果、ミルズ型手榴弾は初期型を合わせると大きく分けてNo.5 Mk.1, No.5 Mk.2, No.23 Mk.1, No.23 Mk.2, No.23M Mk.2, No.23 Mk.3, No.23M Mk.3, No.36 Mk.1, No.36M Mk.1の9種類存在する。
番号の後の大文字のMはメソポタミアの頭文字である。これは、イギリス軍が高温多湿のメソポタミア地方に攻めこむにあたって、シェラックを塗布して防水加工したことに由来し、防水加工品を示す記号である。その他多くの派生型と、製造会社による微妙な違いがある。

**マークI手榴弾(アメリカ) [#qdf2c50d]
&ref(./MkI-Frag.jpg,nolink,50%);
第一次世界大戦中のアメリカで採用された破片手榴弾。設計者によれば、「最も単純」(simplest)かつ、最も「信頼しうる」(fool-proof)手榴弾であったという。
しかし実戦で致命的な問題が発生したため、第一次世界大戦終結前に制式手榴弾の座を退いた。
マークI手榴弾は時限信管式の破片手榴弾であり、表面には32個の刻み目がある。
まず安全ピンを抜くと安全レバーが外れるようになるが、このレバーから手を放すとバネの力でレバーが外れ、同時に撃鉄がキャップ部を押しこむことによって時限信管が作動する。
第一次世界大戦に参戦した時点で、アメリカは独自の破片手榴弾の開発に着手していなかった。そのため、アメリカ軍ではしばしば英国製ミルズ型手榴弾やフランス製F1手榴弾が支給されていた。
アメリカにおける手榴弾の開発は、F1手榴弾を参考とする形で始められた。
こうして完成した国産手榴弾は、マークI手榴弾の名称で1917年に採用された。
しかし実戦に投入されると、直ちに致命的な欠陥が露呈した。マークI手榴弾の信管は構造上極めて信頼性が低く、投擲後も正確に点火せずそのまま投げ返されるという事例が相次いだ。
さらにこれらの不発弾は、投げ返された際に点火・爆発することのほうが多かったと言われている。この重大な欠陥を理由にマークI手榴弾は採用後まもなく生産中止となった。

**F1手榴弾(フランス) [#t9f9f1e2]

元々は第一次世界大戦の間にフランスで設計された手榴弾のひとつで、1915年に開発されフランス陸軍の標準手榴弾として採用された。
内部の点火方式にはスプリングで固定された撃針(ストライカー)に安全ピンで固定した打撃式信管のキャップを開放して、硬いものに叩きつけて点火される方式が採用された。
これは旧日本軍などが採用していた方式と同じである。 
1916年からはミルズ型手榴弾を参考とした改良が行われ、セイフティーレバーが採用されると共に、フライオフレバー式点火機構(ネズミ捕り式とも呼ばれた)という発火方式が用いられ、内部の撃針には銃用雷管が使用されるようになった。
**柄付きグレネード [#StickHandGrenade]
&ref(./M-1917.jpg,30%);
German M-1917 Stielhandgranate Hand Grenade(Stick Hand Grenade)
#br
ドイツの「スティック手榴弾」は1915年頃に初めて登場し、第一次世界大戦中に約10種類のスティック手榴弾が開発された。
数年後にはMod.1917(M-1917)のデザインへと洗練され、M-1917は、第二次世界大戦の標準的なドイツ手榴弾、M-1924の基礎となった。
最も初期のスティック手榴弾は、爆発物で満たされたシンプルなシートメタルシリンダーを組み込んだもので、中空の木製ハンドルに取り付けられ、手榴弾の取り扱いと投げを容易にした。
紐が木製のハンドルの中心を通り、引っ張られると摩擦により点火用の火薬が発火し導火線に伝わり、手榴弾を爆発させた。
導火線は、時間が約5秒から8秒まで変化した。
これらの手榴弾は爆風効果などにより狭い範囲へのみ殺傷効果をもたらす手榴弾で攻撃的(コンカッション)な使用のために設計されていたが、
ほとんどの連合軍手榴弾は守備兵器としての使用を意図した断片化手榴弾(フラグメンテーション)であった。
#br
M-1917は、爆発物の力と品質が向上したので、以前のデザインよりも小さい爆薬を使用していた。また、引っ張りコードを固定したハンドルの底部にフランジを止めたねじ止めキャップを組み込み、手榴弾の偶発的な起爆の機会を減らしている。
円筒形セラミックのおもりを紐の先端に加え、空洞からコードを取り出しやすくし、コードを引っ張るのを容易にした。
木製のハンドルには、ヒューズ(導火線)時間と手榴弾の製造日が記されていた。手榴弾の頭部にはベルトフックが組み込まれており、手榴弾がベルトやブービートラップとしての柵に吊されていた。
スティック型のグレネードは握りやすく投げることを容易になり、斜面などに投げた場合でも、卵型と違って転がる事がなく傾斜地での明確な利点になった。
また、スティック型の爆発部分を針金などでまとめて集束手榴弾(本ゲームでは[[対戦車グレネード]])としてより高威力に改造できる利点があった。
*コメント [#comment]
#pcomment(,reply,20,)

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