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コーデックス/BL 9.2攻城砲
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BL 9.2攻城砲
THEY SHALL NOT PASS


大砲は第一次世界大戦中、あらゆる兵器の中で最も多用された兵器である。大戦を象徴する地形の破壊をもたらし、塹壕が形作られる原因となり、そして、他の兵器を大きく引き離して最も多くの死傷者を生み出した。塹壕戦が定着するにつれ、安全な後方の陣地から砲弾をより高い角度で打ち上げ、精確な長距離砲撃を敵陣地のほぼ真上から叩き込むための兵器として大型の攻城榴弾砲が生み出された。これらの攻城榴弾砲は堅固に築城された要塞への攻撃や、敵の砲撃部隊への対抗砲撃にも用いられた。


第一次世界大戦のイギリス軍で主力となった大型攻城砲、BL 9.2インチ榴弾砲は1913年に開発され、最初の試作砲「マザー」は1914年10月にイギリス海外派遣軍で初めて実戦投入された。1900年にイギリス軍はオーストリアよりオーストリアン9.45インチ(21cm)榴弾砲を第二次ボーア戦争のために購入しており、イギリスはその後すぐに自国での大型砲の開発を決定した。そして生み出されたBL 9.2インチ榴弾砲は、1914年7月の試験で絶賛され、すぐに32門が発注された。BL 9.2は懸架ピストンによる液気圧式の反動吸収機構を備えた初の移動式大砲であり、132kgの投射物を10km近く飛ばすことができた。継続して撃ち続けることはできないものの、1分間に2射することが可能であった。


BL 9.2の発射の衝撃は凄まじく、1916年には砲撃中のBL 9.2に近づきすぎたオーストラリアの従軍牧師が、発射による地面の揺れで激しく宙に投げ出されたという。しかし砲手が耳にプロテクターを着けることはなく、聴力を失う者が多かった。BL 9.2は14名で運用され、砲撃配置に付けるには、数日にわたる泥だらけでの作業が求められた。重さは12トンで、3台の荷車に分けられ、数頭の馬かホルト社のキャタピラ・トラクターで引いて運ばれた。


大砲の技術と戦術は急速に発展し、第一次世界大戦の終わりまでに、さまざまな大きさの大砲が、さまざまな種類の砲弾を複雑な位置関係で放つ問題を解く、戦争を勝利に導く上で極めて大きな役割を果たす、完全な科学の一分野と化した。大型のBL 9.2は主に榴弾を用いたが、徹甲弾を用いることもあり、1918年にはBL 9.2用のマスタードガス弾が導入された。またさまざまな信管も存在し、弾頭が埋もれるよりも先に地上で炸裂する、瞬発信管の開発はその中でも特に重要であった。大戦中を通して、300万発を超えるBL 9.2の砲弾が消費されている。


イギリスは大戦終了までにBL 9.2インチ榴弾砲を450門配備しており、第二次世界大戦でも使用され続けた。また第一次世界大戦中のアメリカとロシアもこのBL 9.2を使用しており、後にフィンランドの冬戦争でソビエト連邦に用いられることになった。

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 射程10kmどころか自陣周辺しか撃てねぇよ!強いけどね -- 2018-02-25 (日) 05:08:32
  • 射程10kmじゃなくて10mの間違いでは?() -- 2021-05-09 (日) 13:52:20
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