コーデックス/パッシェンデール のバックアップの現在との差分(No.1)

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''パッシェンデール''
Apocalypse
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1917年の春、ドイツが開始した無制限潜水艦作戦により、イギリス軍司令部は深刻な懸念を抱くようになりました。その夏には、イギリス軍およびフランス軍の計12個師団が結集し、ベルギーの小村パッシェンデール近くに駐留するドイツ帝国第4軍を攻撃します。戦線を突破してドイツ軍をベルギーの海岸線にある潜水艦基地から追い出すことが目的でした。第三次イーペル会戦とも呼ばれるパッシェンデールの戦いは、1917年7月31日に始まり、使用された砲弾は400万発以上のぼると言われています。これによりドイツの前線守備が壊滅しただけでなく、地域の排水を担っていた用水路網までが破壊されてしまいました。開戦直後の歩兵による攻撃は守備部隊を驚かせ、前線の残存勢力を比較的容易に撃破しました。しかしドイツ軍は複数の集合地点で相互支援を行ったり、砲弾を防ぐバンカー群を活用したりするなど、複雑で柔軟な防衛体制を敷いていました。イギリス軍と交戦しその進軍を阻んでいたのは、特別な訓練を受けたドイツの反撃部隊です。ハーバート・プルーマー将軍はこれに対し、小刻みに拠点の確保を進める「バイト・アンド・ホールド」戦術を採用し、ドイツ軍の拠点を個別に制圧・破壊していきました。しかし砲撃で穴だらけとなった戦場は、秋の雨によって水浸しの泥沼と化してしまいます。多くの兵士と軍馬が穴に落ちたまま二度と浮かび上がってきませんでした。ソンムの戦い同様、この会戦も血で血を洗うおぞましい消耗戦となりました。そして破壊しつくされたパッシェンデールの村をイギリス軍が制圧して間もなく、これもソンムの戦い同様、冬の訪れを受けて戦闘は終結しました。
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