コーデックス/婦人決死隊 のバックアップソース(No.1)
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''婦人決死隊''

In the Name of the Tsar
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マリア・ボチカリョーワの従軍は1914年にさかのぼる。ロシア帝国軍が女性の従軍を認めていなかったことに対し、皇帝に自ら武器を取れるよう嘆願した結果である。そして1917年、2月革命によりロシア帝国軍の崩壊がはじまり、戦いに疲れた男たちが軍を抜けていく中、受勲し英雄となっていたボチカリョーワは、陸軍大臣アレクサンドル・ケレンスキーに、初の女性大隊「婦人決死隊」の設立を願い出た。ケレンスキーは、愛国心あふれる決死隊という存在に宣伝部隊としての価値を見出していたが、ボチカリョーワが目指したのは実戦部隊―男性兵士たちと変わりなく戦い、ロシアのために死ぬことのできる部隊であった。当初2,000名いた志願者のうち、ボチカリョーワの過酷な訓練を乗り越えられたのは、わずか300名であった。ボチカリョーワの大隊は最前線の塹壕を持ち場とし、1917年7月のケレンスキー攻勢では、奮戦の末、大きな戦果とともに多くの犠牲者を出した。ボチカリョーワ自身も砲弾の破片で負傷している。こののち他の大隊も作られたが、女性新兵たちの多くは、女性であるという事実のみで前線の男性兵士たちから常に敵意を向けられることになった。あるいは彼女たちを陸軍省の道具とみなす者もおり、10月革命を経た1917年の末、これらの女性大隊は解隊されることとなった。女性大隊に所属した女性兵士の数は全体で5,000人に及んだものとされるが、第一次世界大戦の前線を戦ったのは、ボチカリョーワの大隊のみである。


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