コーデックス/FEDOROV AVTOMAT のバックアップソース(No.1)
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''FEDOROV AVTOMATライフル''
In the Name of the Tsar

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ウラジミール・フェドロフはロシア帝国軍の大尉であったが、1906年に自動装填式ライフルの開発を開始し、薬室をロシアの標準でありMosin-Nagant M91ライフルにも使われている7.62x54mmR弾に対応させた。フェドロフの試作ライフルはセミオートマチックモードでのみ稼働し、M91のようにストリッパー型クリップを用いて5発ずつ固定式マガジンに装弾するものであった。軍での試用は1911年に始まり、1912年にはさらなるテストのため、軍のライフル委員会から150丁を超える発注がかかっている。1913年、フェドロフは実験的に薬室を6.5 mm弾に対応させ、反動を抑えるとともに更に自動連射向きの構造とした。このモデルは同年後半にテストされたが、第一次世界大戦の勃発によりそれ以上の試験が行われれることはなかった。フェドロフは1915年に西部戦線へ送られ小銃開発の監督をしていたが、そこでフランス軍のChauchat自動小銃に感銘を受けることとなる。これを発想源とし、彼は件のライフルを25発装弾可能な脱着式マガジンに作り変え、完全なオートマチック連射を成し遂げた。同じ年、ロシア軍は自動式の軽量武器を切実に欲していた。そこでフェドロフの新作に白羽の矢が立ったが…時間と資源の節約のため、かの自動小銃は日本製6.5x50mmSR Arisaka弾を採用することとされた。元の弾丸と類似しており、ロシアも既に使用していたためである。軍は1916年にFedorov Avtomatの調整を行い、手始めにルーマニア前線の戦いへ投入した。その結果6.5mm Fedorov Avtomat 45丁や、元の7.62mm自動装填式ライフル8丁で武装したイズマイール歩兵第189連隊特殊部隊などが誕生したのである。Fedorov Avtomatはエアクルー、特に大型イリヤー・ムローメツ爆撃機の乗組員にも使用された。1916年末には25,000丁の発注があったFedorov Avtomatであったが、1917年初頭には5,000まで注文数を減らしていた。ロシア革命の影響である。第一次世界大戦中は更に製造数が減少し、1924年に至っては3,200丁が作られたのみであった。数年後にはお蔵入りとなったこの武器も、1940年のフィンランドとの冬戦争にあたって一部が精鋭部隊へ支給されている。今回もロシアは、深刻なアサルトウェポンの不足に見舞われたのだ。今日Fedorov Avtomatは、時代を何十年も先取りしたアサルトライフルの現代的コンセプトの原型として、その1つに数えられている。


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