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''M1909 BENET MERCIE軽機関銃(エリート)''


M1909軽機関銃はアメリカ軍に「Benet-Mercie Machine Rifle」の名で採用され、1916年にメキシコの革命家パンチョ・ビリャがアメリカ国境の町を攻撃したことに対する報復作戦が初のアメリカ軍での実戦投入となった。1916年3月9日、パンチョ・ビリャと配下の数百名の兵士がニューメキシコ州コロンバスの町とアメリカ軍の駐屯地を襲った。数丁のBenet-Mercieが防衛に使われ、使用直前に1丁が弾詰まりを起こすトラブルはあったものの、それぞれ5千発以上を放ち、ビリャの部隊に多大な損害を与えた。続くメキシコでの討伐遠征ではBenet-Mercieは信頼性が低く、壊れやすいとの批判を受けることになる。問題の一つは装弾クリップを上下逆に挿すことができたために弾詰まりが起きることで、特に夜間において問題が頻発し、アメリカ兵はBenet-Mercieを「昼の銃」と呼んで蔑んだ。ただし後には、Benet-Mercieの問題の多くは、扱う部隊の練度の低さに原因があるとの見方が主流となっていった。

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M1909は第一次世界大戦のフランス陸軍でも制式のルベル弾に合わせたモデルが使用され、「mitrailleuse portative modele 1908/13」の名前が与えられた。1907年に軽歩兵や騎兵の支援火器として開発された銃だが、当時のフランスでは自動火器の運用に関する明確なドクトリンが存在せず、首脳部が大規模配備に賛成しなかったことで大戦前の生産と配備は少数に留まっていた。そして、1914年に機関銃が突如大量に必要となり、この生産方針は過ちであったことが明らかとなった。M1909は複雑かつ精巧な作りで製造コストも高かったため、生産が需要に追い付かなかったのである。結果としてより粗雑で安価なChauchat機関銃がフランスの主力軽機関銃となった。とはいえ、M1909は装甲車両や飛行船、イギリス、フランスの戦車で使用され続けた。ベルギー軍では自転車騎兵隊にM1909を装備させ、1914年8月にドイツ騎兵に対し圧倒的な戦果を挙げることに成功している。航空機の火器としても活躍し、1914年10月5日、フランスの航空兵フランツとクイノールトがM1909を用いた初の空戦に勝利している。1916年にはイギリス軍騎兵隊が.303弾モデルを採用し、下馬して射撃に用いた。最終的にM1909を最も活用したのはイギリス軍である。M1909は各国に輸出されて大成功を収め、これを導入した多くの軍隊が、M1909によって初めて軽機関銃を体験することとなった。


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