コーデックス/M1911(エリート) のバックアップ(No.1)

M1911ピストル(エリート)

M1911は第一次世界大戦で戦の洗礼を受け、そこでこの銃の伝説が形作られた。アルヴィン・ヨーク軍装は、M1911で132人のドイツ兵を捕虜とし、エースパイロット、フランク・ルークはドイツの前線後方に不時着した際、M1911を手に最後まで戦い続けた。両名はともに名誉勲章を授与(ルークは死後)され、第一次世界大戦中、少なくとも14件の名誉勲章が授与された事例において、M1911が重要な役割を果たしている。


アメリカのムーズ=アルゴンヌ攻勢の開始から2日後の1918年9月28日、ドワイト・H・シャフナー中尉は、セント・ヒューバーツ・パビリオンと名付けられた尾根への攻勢で、敵の激しい攻撃の中、部隊を率いて進んだ。尾根を押さえた後、シャフナー中尉の中隊は機関銃によって多数の犠牲者を出すが、中尉は機関銃の位置を突き止め、自ら銃手たちを無力化した。この勇敢な行為により部隊は奮起し、さらに2度の反撃を退けることに成功した。続くドイツ軍の3度目の反撃において、中尉は敵のもとに飛び込み、M1911to グレネードで数名を倒した。そして、反撃を率いるドイツ軍大尉を見つけると、死に至る傷を負わせ、襟を掴んで引き摺りながら中隊の塹壕へと戻った。シャフナー中尉は捕らえた大尉を尋問し、ドイツ部隊の戦力と配置に関して貴重な情報を聞き出すことに成功する。そして、中尉の中隊は、三方を敵に囲まれながらも、さらに5時間その場で持ち堪えた。


1918年10月8日、ボア・ド・コンサンヴォワでアメリカ軍の2中隊が敵機関銃陣地により足止めされたとき、パトリックリーガン少尉は、志願者を3つの自動ライフル隊に分け、2隊を両側面、自ら率いる1隊を正面に配して敵陣地を攻略した。すぐさま数名が負傷あるいは命を落とした。自身も重い傷を負ったにもかかわらず、リーガン少尉はM1911を抜き、機関銃陣地へと真っすぐに飛び込み、降伏するよう叫びながら30人のオーストリア兵を捕虜とした。その後、少尉は救護所に向かうよう命じられるが、その時になって初めて、M1911の弾倉がずっと空であったことに気付いたという。


1918年10月12日の朝、キュネル近郊で深い霧の中を進んでいたサミュエル・ウードフィル中尉とその中隊は、突如、激しい機関銃攻撃にさらされた。中尉は残りの隊が身を隠す間、機関銃陣地に単身突撃し、敵に近づくと3人のドイツ兵を討ち取った。近い距離でドイツ軍士官が飛び掛かってくると、中尉はそれも圧倒して倒した。中尉は隊に進むよう合図し、ほどなくして隊は2つ目の機関銃陣地を無力化し捕虜を取った。そして3か所目の機関銃が火を噴くと、中尉はふたたび攻撃を命じ、真っ先に陣地へたどり着き、バンカーの穴の中へ飛び込んだ。中尉は敵兵2名にM1911を乱射するが、すべて外し、近くにあったつるはしを拾うと、それを振るい敵兵たちの命を奪った。アメリカ軍総司令官ジョン・パーシング将軍は後にウードフィル中尉を第一次世界大戦において最高のアメリカ軍兵士だと褒め称えた。


トーマス・C・ネイバウアー一等兵はフランスのChauchatを与えられた自動ライフル兵で、所属大隊は1918年10月16日に謙子に守られたクリームヒルト線沿いの重要な高地の確保に成功した。そして、ネイバウアー一等兵の分隊は、近辺の機関銃陣地網の側面を突き、無力化する任務に志願するが、分隊の内2名が命を落とし、ネイバウアー自身も足を負傷してしまった。50人ほどのドイツ兵がネイバウアーの位置に攻撃を仕掛けるが、ネイバウアーはChauchatでそのほとんどを打倒した。重い傷を負ったネイバウアーは、アメリカの前線へ戻ろうとするが、意識を失ってしまう。目を覚ました時には、15人ほどのドイツ兵に捕らえられていた。自身のM1911が近くの地面に転がっていることに気づいたネイバウアーは、M1911へと這い、ドイツ兵の何名かが銃剣で突撃してくる中、弾を当てることに成功する。そして、11人のドイツ兵を捕虜としながら、アメリカ軍の前線へと帰還した。

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