コーデックス/MOSIN-NAGANT M91 のバックアップの現在との差分(No.1)

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''MOSIN-NAGANT M91ライフル''
In the Name of the Tsar

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ロシアのMosin-Nagant M91ライフルは、歴史上最も長く使われ、そして生産された軍用ライフルの一つであり、製造数は実に3千7百丁を超える。1877年~翌78年の露土戦争において、ロシア兵は単発式のBerdanライフルで武装しており、連発式のレバーアクションライフルを持ったトルコ兵の前に多数の死傷者を出し苦戦を強いられた。こうしてロシアも現代的な連発式ライフルにアップデートすべきだという機運が高まり、その後何年かかけて多種多様な銃を入手してはテストする、そのような試みが行われた。中でもフランスのLebel 1886は、その硝煙の少なさから画期的であった。1889年、皇帝ニコライにより新たなライフルの開発を命じられた政府のライフル委員会は、その年のうちに3種類の評価用モデルを提出した。帝国陸軍大尉Sergei Ivanovich Mosinの7.62mmライフル、ベルギーの設計者Léon Nagantの9mmデザイン、そしてZinoviev大尉による別の7.62mmライフルである。最終的に委員会はMosinとNagantの特徴を統合することに決め、1891年、新しい武器は皇帝直々に採択された。採用名は「1891年式3ラインライフル」で、この「ライン」とは1インチの10分の1、つまり7.62mmに等しい長さを示す。5発の内蔵マガジンおよびボルトアクションを採用したM91は、当初こそそれなりに現代的であったが、発射に用いる新しいリムド弾が、採択時には時代遅れになり始めていた。けれどもリムドケースを採用すれば、薬室寸法の許容誤差が大幅に広がる。生産技術力に乏しいロシアではありがたい話だった。全体的にM91ライフルは、可能な限り信頼性を高めつつ、製造もしやすいように設計がなされた。そしてあの、「ロシアの小銃=無骨ながら頼りがいがある」というイメージの一翼を担うことになる。Mosin-Nagantには別バージョンも存在し、それらは約60年にわたって帝国軍…後のソビエトロシア軍の標準的なライフルであり続け、生産は1948年まで続いた。Mosin-Nagantは中国、フィンランド、ブルガリア、ポーランド、ベトナム、北朝鮮等々の国でも軍事採用され、第一次世界大戦中にはドイツおよびオーストリア=ハンガリー軍に大量鹵獲された。アメリカの企業が2社、300万を超えるM91の生産について1916年~翌17年にかけて契約を交わしたが、それらの納入は1917年の革命後に途絶えた。残っていた28万丁のライフルは米軍に購入され、内戦中のロシア北部の英米派遣軍に支給されたのだ。米兵の訓練に使われた後、M91は第二次世界大戦前に一般市民へ売りさばかれた。ロシアの方は既に1906年、国内でM91に望遠サイトを適合させる試みを開始していた。ドイツの光学メーカーの補助員に頼りながらであったが、第一次世界大戦中、この種のスナイパーライフルはまだ珍しかった。より一般的だったのは潜望鏡サイトとマウントであり、これらを使うと塹壕の縁を越えた発射が可能になったが、そのためには打つたびに武器を下げ、ボルトを回さなければならなかった。


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