コーデックス/SMLE MKⅢ(エリート) のバックアップソース(No.1)
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''SMLE MKIIIライフル(エリート)''


イギリスのSMLEは比較的全長が短く、結果的に塹壕戦での取り回しに優れていたこともあり、1895年から20世紀全般を通じて使用され続けた。その総生産数は1,700万丁を超えるとされる。皮肉なことにSMLEはその真価を発揮する前に退役させられかけた経歴を持つ。1899~1902年の第二次ボーア戦争中、イギリスはより小型で高速なドイツの画期的な7×57mm弾を用いるライフルの精密な長距離射撃に苦しめられた。イギリスは1910年に同型弾を開発し、それに合わせてドイツのG98の機構を改変したライフルを「Pattern 1913」の名前で用いようとしていた。Pattern 1913はSMLEを置き換える予定であったが、大量生産の体制が整う前に第一次世界大戦が勃発し、戦時中に新型ライフルと弾薬を導入することは兵站上大きなリスクとなることが懸念された。そのため、イギリスは第一次世界大戦にSMLEを使用し、SMLEは主力ライフルとしての座を保ったのである。

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イギリスは国内でのSMLEの生産が不足していたため、アメリカのメーカーにPattern 13の次期モデルとなるPattern 14の生産を委託した。Pattern 14は第一次世界大戦において、イギリスのスナイパーライフル、予備銃、予備役銃として用いられた。1917年にアメリカが参戦すると、アメリカ軍装備局は、Pattern 14をアメリカ軍制式の.30-06弾に対応させたModel 1917を生み出した。Model 1917はPattern 14の工場で容易に生産することが可能であった。M1917は同じくアメリカのM1903ライフルを補完する物となる予定であったが、実際には大戦中の生産数、使用数ともにM1917が上回っている。

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SMLEはボルトアクションが高速なことで知られ、練度の高いイギリス兵は狙いを付けた状態で1分間に20発から30発を撃つことができた。1914年8月にモンスでドイツ軍を迎え撃ったイギリス軍は、防衛陣地に立て籠もるも数において3対1の劣勢にあった。前進するドイツ軍に対し、イギリス軍は約1,000mでSMLEの射撃を開始した。そして200mに近づいたところで「高速射撃」に切り替え、ドイツ軍の戦列を壊滅させたのである。ドイツ兵の中には機関銃による攻撃を受けたと誤解する者までいた。モンスでの戦いでは、イギリス軍の犠牲者約1,700名に対し、ドイツ軍の犠牲者は約5,000名に及んだ。この戦いは伝説となり、「モンスの天使」の言い伝えが生み出される元ともなった。

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