コーデックス/VETTERLI-VITALI M1870/87 のバックアップの現在との差分(No.1)

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''VETTERLI-VITALI M1870/87ライフル''
In the Name of the Tsar

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スイス軍がヨハン・フレデリック・ヴェッテルリの弾をベースにしたボルトアクション式ライフルを採用した1869年、それは当時存在する中で最も現代的、かつ先進的な選択肢の1つであった。Vetterliライフルは10.4x38mmリムファイア黒色火薬弾を放ち、11発の筒状マガジンで装弾を行う。1870年、イタリア軍はその改良版を採用した。これが後にModel 1870 "Italian Vetterli" として知られるようになる。大きな違いは単発式への変更と、10.35x47mmRセンターファイア黒色火薬弾への対応。数年のうちにイタリア軍は、ライフルに装弾するマガジンを軽視したことの過ちに気付き、1887年、Italian Vetterliにリー式小銃にインスパイアされた4発マガジンを使用する方向へと転換を開始する。このマガジンは砲科大尉Giuseppe Vitaliの発明であった。このマガジンも同じく10.35x47mmR弾を用いていたが、今度はMannlicher式に金属と木製のストリッパー型クリップで、装填後にクリップの木材箇所の上部にある「引っ張り紐」を使って引き出すことができた。1896年には事実上すべてのModello 1870ロングライフルと、Truppe Speciale(カービン)の改良が終わり、名称もVetterli-Vitali M1870/87と改められた。1915年までイタリアは第一次世界大戦に連合軍側として参加していたが、その時Vetterli-Vitaliは制式武器ではなかった。けれども大抵の戦闘員が直面するように、イタリアも切迫した武器不足に陥り、M1870/87ライフルは最前線でない、植民地の兵士らに支給された。それが何故かたびたび、前線にも登場するようになる。1916年、大量のM1870/87ライフルがロシアに送られ、たくさんの戦闘が行われた。ロシア革命後、ソビエト連合は古い黒色火薬ライフルを撤廃することにし、これらのVetterli-Vitaliは1936年~39年のスペイン内戦の際、共和党部隊に送られた。 


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