Comments/コーデックス/ドイツ帝国 のバックアップソース(No.5)
[[コーデックス/ドイツ帝国]]

-厳密に言うと対外戦争の引き金となっている煽動者は大きく違うが、1度目はプロイセンの大ドイツ主義2度目はヒトラーの反ユダヤジェノサイドとナチズムが原因で十数年足らずの仮初めの休息の後に再びヨーロッパ全土を没落と荒廃という名の爪痕を根深く残した当時の近隣諸国にして見れば忌まわしく敬遠されるべきピッケル角皮兜と鉄十字のジャガイモヴゥルスト野郎の国。 --  &new{2016-10-27 (木) 13:34:20};
-勝手隣の国の国歌と国章と民族衣装をパクっておいて、起源を主張する国、欧州の某半島 --  &new{2016-10-28 (金) 23:25:45};
--''ドイツ人女性用の民族衣装は正直可愛いらしいと思う''☛[[ディアンドル(ドイツ人女性全般汎用民族衣装)>http://file.amber.sakeblog.net/5f0536f3.jpeg]] --  &new{2016-10-29 (土) 10:09:13};
---ディアンドルはもともとチロル地方の民族衣装を原型にオーストリアの小間使いが着ていた物を指すようになった衣装で、オーストリア、スイス、リヒテンシュタインの民族衣装である、確かにバイエルン地方の一部では着られるものの、それはチロル地方に隣接するごく一部であり、ドイツの民族衣装とするならばザクセン、ハノーファー、ブランデンブルクあたりの民族衣装を指すのが適切であろう。 --  &new{2016-10-29 (土) 12:47:04};
-天然の要害がない上に周辺諸国みんな仮想敵とかいう状況で、見事にだったら頭を使うんだと色んなことをやりはじめるが、飢餓とスペイン風邪とかやめてくれよ……。なお無期限潜水艦作戦や電報事件でアメリカにファックサインたてたすばらしい経歴の持ち主。R.I.P. --  &new{2016-10-28 (金) 23:55:17};
-ドイツ帝国はプロイセンを中心に構成された帝国だが、当のプロイセンはドイツ人(ゲルマン人)でなくバルト人、しかもロシアとポーランドの合間の地方からはるばるドイツにやって来た、あと画像の旗はプロイセンの旗 --  &new{2016-10-29 (土) 00:03:44};
--嘘をつくな。プロイセンという国の出自は確かにバルト海沿岸部のプルーセンと言われる土地だが、プロイセンの母体たるドイツ騎士団国はプルーセンを征服したドイツ騎士団の支配する国。そしてドイツ騎士団の支配から移行してプロイセン公国が成立、その後ドイツ統一によってドイツ帝国が成立するわけだが、その間にプロイセンの人びとの大半はドイツ人(ゲルマン人)になっている。プロイセンがバルト人主体の国であった時代は精々14世紀後半まで、バルト人が支配していた時代は古プロイセンと言われるが13世紀までの話だ。「当のプロイセンはドイツ人(ゲルマン人)でなくバルト人」なんてことはない --  &new{2016-10-29 (土) 01:25:42};
--人種的にはどちらも間違えでまた正解でもある、フリードリッヒ大王曰く「もしもトルコ人達がやってくるなら、彼等の為にモスクを作ろう」とあるようにプロイセンは民族国家でなく移民国家。大体ベルリンの3分の1が南フランス人とも。また大量のトルコ人やポーランド人、当然ドイツ人やらその他の人種を受け入れて大国になった国だから、プロイセンはバルト人・ドイツ人・フランス人・ポーランド人・トルコ人・その他の人種でできた多民族国家ってのが正解。 --  &new{2016-10-29 (土) 13:30:37};
---どっちかといえば「ドイツ人」だとか「ドイツ民族」なるものはバルト人・フランス人・ポーランド人・トルコ人・その他の人種含めた「ドイツ地方に住んでいる人」ぐらいの意味合いしかないんだけどな。 --  &new{2016-10-29 (土) 21:13:38};

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