現代アサルトライフルの原型の一つで、脱着式のボックスマガジンから中間弾薬をセミオートとフルオートで撃つことができる。
用語については武器の性能表についてを参照してください。
主に個別の適応について記載されています。軽微な情報は省いてます。また全体の変更により仕様が変わっている場合がありますのでパッチ情報で確認して下さい。
フェドロフM1916自動小銃(Fedorov Avtomat 露語:Автомат Фёдорова)。 現在のアサルトライフルと同様の、個人携行用の軽量フルオート小銃というコンセプトで1916年開発、同年ロシア軍で配備された自動小銃である。 後にRPD軽機関銃、SKSカービン、AK-47開発の中心人物となるヴラジーミル・グリゴーリエヴィチ・フョードロフ(Владимир Григорьевич Фёдоров)のデビュー作でもある。
元々の開発開始は1906年だが、その時に試作されたのはセミオート小銃であり、クリップ装填で使用弾は専用の6.5mmフェドロフ弾(6.5mm Fedorov)。 トライアルでは良好な性能を示していたが、最終設計とは全く異なる銃器であった。
この設計が転換したのは1915年。フェドロフがフランス駐在武官となった際のことである。 フランスでChauchatを目にしたフェドロフはその設計コンセプトに惚れ込み、個人携行用の軽量フルオート小銃を目指すようになったのである。 帰国後フェドロフは従来の設計を修正、フル/セミオート切り替え機能と脱着式マガジンを追加した。
またこのコンセプトはちょうど1904年~1905年の日露戦争で既に泥沼の塹壕戦を経験していたロシア軍の方針、後の言葉で言う「突撃歩兵部隊の創設」にも合致していた。 ドイツでは一次大戦中に軽量フルオート火器MP 18を開発して突撃歩兵部隊の装備としたが、ロシアでは戦前に同様の軽量フルオート火器フェドロフM1916自動小銃の開発が始まっていたのである。
そのため本銃は開発後即ロシア軍に採用され、25000挺の生産が決定された。 しかし工業力の問題からフェドロフの構想した新弾薬の生産は行われず、イギリスで生産された日本の三八式実包を用いることとなり、比較的弱装故に射撃安定性は高まったが銃口初速は低下。 さらに同じく工業力の問題から1918年には生産予定を縮小して9000挺に変更、最終的にはソ連時代を含め3200挺が生産されるにとどまった。 そのため運用も試験運用にとどまり、評価は高かったものの元々のコンセプト通りに突撃歩兵部隊の装備として用いられる事はなかった。
ソ連時代には対フィンランド戦争で用いられ、前線でも高評価を得ていたが、今度は三八式実包の供給に窮して生産中止。 最終的には1940年まで用いられていたが、現在殆どはフィンランドの雪の中に眠っている。
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