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''ソワソン''
THEY SHALL NOT PASS
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1918年7月、連合国軍総司令官フェルディナン・フォッシュはドイツ軍の春季攻勢がついに戦力を使い果たしたことを確信し、フィリップ・ペタン、シャルル・マジャンとともに、マルヌ突出部のドイツ軍側面に対し全面的な反転攻勢に出る計画を立てた。モロッコの植民地部隊やフランス外人部隊を含め全フランス軍からずば抜けた叙勲歴を持つ部隊を集め、ロシア軍1大隊、イギリス軍第34師団、フランスに派遣された最初のアメリカ軍2師団と合わせてソワソンの鉄道拠点を最初の目標に選んだ。そして通常の大規模砲撃ではなく、未だかつてない478台もの戦車が第一波として歩兵隊を先導し、ドイツ軍陣地を駆逐する初撃プランが取られた。ゆっくりと前進する戦車と歩兵を覆い隠すために煙幕が焚かれたが、それでも、進軍の音が陣地に到達するやいなや、ドイツ軍から激しい砲撃が浴びせられた。多数の戦車が脱落したが、その残りはドイツ軍が守りを固める峡谷周囲の機関銃陣地を破壊し、歩兵隊に道を切り開くのに重要な役割を果たした。この戦いでは両陣営ともに多くの犠牲者を出し、その数は27万人に及んだが、連合国軍が敵の意表を突く戦術を取ったことにより作戦全体は大きな成功となった。戦車の大量投入はドイツ軍砲兵隊の対応能力を上回るものであり、大きな幅で前線の突破を可能とした。ソワソンは8月2日に奪還され、ドイツ軍はエーヌ川を越えて撤退を強いられることになった。

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