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''ダーダネルス海峡をめぐるガリポリ作戦''

マルマラ海はダーダネルス海峡とガリポリ半島により守られていた。この海峡を押さえることは、黒海で活動するロシア海軍との連絡を確保するだけでなく、中央同盟国とその一翼を担うオスマン帝国に対し、楔を打ち込むことに等しかった。ロシア軍とイギリス軍の直接的な連携の実現は、ギリシャとルーマニアを連合国側で参戦させるための最後のひと押しとなり、オスマン帝国を打倒するための助けとなり得た。そして多くの将軍が、コンスタンティノープルの占領が、近東での戦いを終わらせる決定打になると信じていた。

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作戦は海軍大臣ウィンストン・チャーチルの旗振りのもと行われた。連合国軍は初動においてオスマン軍の海沿いの砲撃陣地の破壊に失敗した後、艦艇による海峡の突破を図った。しかし砲撃陣地や防衛用の魚雷、大規模な機雷帯が行く手を阻み、多くの連合国艦艇が沈没するか損傷を被った。そして作戦は、歩兵により陸からガリポリ半島を制圧しオスマンの防衛部隊を壊滅させる試みへと移った。

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強力な艦砲による支援を受けながら、イギリス軍とオーストラリア・ニュージーランド軍団は海岸に上陸し、丘の上のオスマン軍の陣地に強襲を仕掛けた。しかし、1915年4月25日の上陸では、オスマン軍防衛部隊の能力を見誤り、大量の砲撃と機関銃攻撃により上陸部隊が壊滅的な被害を受けてしまった。イギリス軍はムスタファ・ケマル率いるオスマン軍防衛部隊を突き崩すことができず、ガリポリ半島の戦いは膠着状態に陥った。この戦いは、明確な戦略や指揮に基づかない小競り合いや、決闘じみた砲撃・狙撃合戦に特徴づけられている。

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