Top > コーデックス > 忘れられた砂漠



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''シナイ、パレスチナ戦線''


オスマン帝国が1915年の初頭にイギリスからスエズ運河を奪うことに失敗すると、イギリス軍は砂漠へとその軍勢を追い返し、そこに大戦の終わりまで争い続けられることになった新たな前線が生み出されました。

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第二次ガザの戦いで戦車が姿を見せることはあったものの、砂漠における戦いは欧州におけるものとは大きく異なりました。連合国側の目標はダマスカスとアレッポ、そしてすでにベルリンからコンスタンティノープルまで達していた、中央同盟国によるベルリン=バグダッド鉄道の完成を阻止することでした。

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またイギリスはオスマン帝国に対するアラブの反乱にも資金と物資を援助し、この地域で力を伸ばした反乱はダマスカスの陥落により完遂を見ます。そしてこの結果、イギリスがパレスチナ、フランスがシリアとレバノンを委任統治下に収めることになりました。この時に引かれた国境線は今に至るまで紛争の種となり続けています。



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