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''MG 08/15''


19世紀末、ドイツ帝国は新たに登場したMaxim機関銃の能力に惚れ込み、最も早く購入を行った国家の一つであり、ほどなくして、自国版の生産を始めた。さらに軽量化を含む開発が進められ、1908年についにMG08が完成して、これが第一次世界大戦開戦時のドイツ軍の制式機関銃となり、大戦を通して広く使用された。

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MG08は大型の架脚を備えて非常に重く、防衛用の固定銃座としての使用が想定されていた。1915年、連合国側の大幅に軽量な自動火器に対抗するため、ドイツ歩兵にも携行可能な強力な火器を持たせる必要が増したことから、MG08をさらに軽量化して持ち運べるようにし、4名の隊員で伏射使用を可能とする改良を行うことが決定された。この新型は水冷式のままであったが、水冷ジャケットをより細身として水の量を減らし、レシーバーの金属の厚みも薄くしたほか、機構を単純化し、上部の構造を削除して、この機関銃のよく知られるシルエットが生み出された。レシーバーの後部はスペードグリップから木製ショルダーストックとピストルグリップへ、以前のMG08の重い架脚は、水冷ジャケットの下の小型のバイポッドへと変更された。また、給弾ベルトを収めた新型マガジン「Gurttrommel」の取り付けも可能となった。

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この新型には、lMG 08/15の制式名(小文字の“l”は、軽量を意味する“leichte”、大文字の“L”は、航空機版を意味する“Luft”の頭文字)が付けられた。08/15は1915年に試作試験が開始され、1916年に製造に移り、同年にヴェルダンで初めて使用された。08/15は第一次世界大戦で最も一般的なドイツ軍の機関銃となり、大戦中に13万台が製造され、1918年には、MG08の4倍の数が配備されていた。重さが18kgあった08/15は、連合国側の軽機関銃よりも重かったが、生み出された目的はあくまで突撃用であり、その使用訓練には、部隊の前進に同道しながら制圧射撃を加えるための、適切な設置と射撃に関する訓練も含まれていた。


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