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''CHAUCHAT''
THEY SHALL NOT PASS
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Chauchatは第一次世界大戦を通してフランス軍の制式軽機関銃を務め、この種の火器としては一人の兵士で携行・使用が可能な初めての物の一つである。25万丁以上が製造され、第一次世界大戦で最も大量に生産された自動火器となった。よく知られるその名前は主設計士のルイ・ショーシャ大佐に由来する。「史上最悪の銃」と呼ばれることも多いが、これは不当な評価である。
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Chauchatの起源は1903年にさかのぼる。ピュトー工廠のルイ・ショーシャ、シャルル・サターは8mm Lebel弾を使用した非常に軽く、単身で運用可能な銃の開発を開始し、その後数年で数点のC.S. Machine Rifleの試作品を生み出した。それらは後のChauchatに極めてよく似ていたが、レシーバーの上にカーブしたマガジンが取り付けられる構造であった。C.S. Machine Rifleは1913年1月にトライアルを通過して、フランス軍は100丁を発注、完成品が届けられたのは大戦の勃発間際となった。C.S. Machine Rifleは当時最軽量クラスの自動火器であったため、第一次世界大戦初期にフランスの航空機に搭載されたが、現在まで残存している実物はない。
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ほどなくして、ジョフル将軍から歩兵隊向けの非常に軽い支援自動火器を求める声が発されると、既存かつ試験済みで、さらにLebel弾を使用するため補給に難のないC.S. Machine Rifleを新銃開発のベースとすることが決まった。C.S. Machine Rifleは民間工場を転換して安価に大量生産可能であったことも反映され、Chauchatの大部分はグラディエーター社の元自転車工場で生産されている。ショーシャとサターはC.S. Machine Rifleの設計を新しくし、Chauchatは1915年にフランス軍に採用され、1916年から前線に配備された。
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Chauchatは、わずか9kgでセミオートまたはフルオート射撃が可能であり、ピストルグリック、直線ストック、装弾数20発の脱着式マガジンを備え、さまざまな意味で現代のアサルトライフルの原型であった。現代のアサルトライフルとの最大の違いは、Chauchatが中間ではなくフルパワーの実包を使用する点である。Chauchatは「ロングリコイル」機構を用いる唯一のフルオート火器であり、Model 8 Autoloadingライフルからその発想を得ている。
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1918年にアメリカ軍が前線に到着するとChauchatが支給され、アメリカ兵からは「ショーショー」のニックネームで呼ばれた。今日におけるChauchatの悪評の大部分には彼らの経験が影響しているものと考えられている。アメリカ兵に支給するため、約2万丁のChauchatがアメリカの.30-06弾に合わせて生産されたが、.30-06弾は元のLebel弾に比べて強力であり、製造においてもさまざまな問題に見舞われた。このため.30-06版のChauchatは極めて性能が悪く、さらに訓練にしか使われなかったにも関わらず、アメリカ兵の間でネガティブな印象が定着してしまった。
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大戦中、Chauchatの動作不良の75%はマガジンの問題であったことが明らかとなっている。薄い金属板で造られていたために形が歪みやすいこともあったが、最大の問題は側面の覗き窓から、土埃や汚れが入り込みやすいことであった。Chauchatは決して完璧な武器ではなかったが、当時としては十分に有効であり、攻撃に臨むフランス兵部隊に重要な火力支援を提供する存在であった。フランス軍での叙勲記録は、機関銃陣地の無力化を含め、現代的な突撃戦術を成功させるにあたり、Chauchatの射手が重要な役割を果たしたことを示している。

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