C96ピストルは初めて商業的に成功し、第一次世界大戦に広く使われたセミオートピストルである。
用語については武器の性能表についてを参照してください。
中威力中レート高弾速の中量級ピストル。 10発という自動拳銃としては特筆すべき多弾装で、看護兵の使えるピストルとしては最も継戦能力が高い。 また静止時ADS精度が若干ではあるが高く弾速も良好、最低威力も悪くない。一方移動時ADS精度は最悪であるため、丁寧に当てる必要が有る。 脱着式マガジンでない為リロード速度も遅いが、撃ちきりリロードではクリップにより一括装填されるので、大した問題ではないだろう。
1896年にモーゼル(マウザーとも)社が発売した自動拳銃がモーゼルC96(Construction 96、96年設計型)である。 C96はモーゼル社の創業者であるモーゼル兄弟の手がけた製品ではなく、弟パウルは大型拳銃を好まず、社内での設計を禁止することさえ考えていたという。 そんな中で同社の試験場監督だったフィデル・フェーデルレ(Fidel Feederle)は兄弟のフリードリヒ(Friedrich)、ヨゼフ(Josef)と共に秘密裏に大型拳銃の設計を行った。 当初モーゼルはこの新型拳銃に難色を示していたものの、最終的には帝国軍が制式拳銃として採用することを期待して「モーゼル」の名を冠することを認め、1895年に特許を取得した。
その最大の特徴となっているトリガーの前にマガジンハウジングを持つスタイルは、当時グリップがマガジンハウジングを兼ねる方式が特許取得済みだったためとも言われている。 このデザインは重心が前にあるために射撃競技銃のように正確な射撃が可能であり、ストックを併用すると代用カービンとして使用できた。 「箒の柄(ブルームハンドル)」とあだ名された独特の形状をしたグリップは、掌の小さな小柄な民族でも関係なく使用できる利点があり、そのまま採用され続けた。 構造は金属パーツとスプリングの噛み合せでできており、ネジはグリップで使用している一本だけ、分解清掃も付属のクリーニングロッド一本で可能と信頼性も高い。 使用する.30モーゼル弾は、ルガーP08の原型となったボーチャードピストル用に開発したボトルネックリムレス弾薬がベースになっている。 C96は1896年から1937年までの41年間にかけて製造された。最終的な生産数は100万丁を超えると言われている。
マガジンへの装弾方法は当時のボルトアクションライフルに似ており、 リロードはコッキングピース(一般的な自動拳銃のスライドに相当)が後退したホールド・オープン状態から排莢口を通じて弾丸が10発纏められたクリップをマガジンに押し込んで行う。 その後クリップを抜き取り、後退したボルトを下から仮押さえしているハンマーを引き下げるとチャンバーに弾が送り込まれるようになっている。 コッキングピースを後退位置でホールドするための独立したパーツはないため、最終弾を撃ち出すまで弾丸の途中補給は、片方の手でスライドを後退させて、スライドを手とハンマー上端で仮固定しなければならない。 セーフティレバーはM1896では上に押し上げるとOFFとなるが、俗に後期型と言われる「M1930」以降のモデルは下に押し下げるとOFFとなる。 その他にもM1930ではロック状態ではトリガーを引いて、ハンマーを落としてもファイアリングピンを打たないようになっている等、各種改良が行われている。
構造上、大量生産には不向きと見なされたためにドイツ帝国軍の制式拳銃には選ばれず、正式採用した国は中国など一部に留まったが、イギリスではウィンストン・チャーチルを含む多くの将校がC96を個人購入している。 当時信頼性の低かった着脱弾倉式に比べ、C96は固定弾倉式で信頼性が高く、その目を引くデザインや他の自動拳銃に比べて倍近い価格からステータスシンボルとも見なされ、C96は20世紀前半に最も知られた自動拳銃の1つとなった。 C96は当時としては多弾数でカービンとしても代用できる実用的な銃としてアジアを中心に広く愛用され、中国山西省軍閥の工廠による.45ACP弾仕様「山西17式」、スペインのアストラ社の「M900」等、世界数ヶ国でコピー生産も行われた。
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