勢力 のバックアップ(No.32)

公式Twitterより、本作マルチプレイヤーにおける勢力。リリース時で6種。

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同盟国ドイツ帝国
German Empire
プロイセン国王をドイツ皇帝として戴く連邦制国家として1871年成立。
1871年に普仏戦争で勝利することで成立したこの帝国は、フランスを更に窮地に陥らせるべく1872年にオーストリア・イタリアと三国同盟を締結、ロシアと独露再保障条約を締結してフランスを孤立させようとしたが(ビスマルク体制)、1890年からその包囲網がロシアの離脱により決壊、ロシアは露仏同盟を締結して逆にドイツをロシア・フランスで挟み撃ちにする体制ができあがってしまう。
それに対応すべく計画されたのがいわゆるシュリーフェン・プランであり、ロシアの総動員令発令から完了までに長いタイムラグがあることを利用し、ロシアの総動員令発令直後に中立国ベルギーを侵略して独仏国境の背後からフランス軍を叩き、その後になって本格的に参戦してくるロシアとの戦争を行う計画であった。
しかしこのシュリーフェン・プランはその第一段階である中立国ベルギーの侵略によって世界を敵に回す可能性があり、さらにベルギー独立の立役者であるイギリスはベルギーが侵略された場合にはその侵略国に対し参戦する立場を表明していたこともあって非常に危険な計画であった。
そして後述のオーストリアとセルビアの全面戦争突入により、ロシアがセルビア支援の名目で総動員令を発令したことで、ドイツは三国同盟に基づき参戦を決定、危険なシュリーフェン・プランを発動してしまう。
ger.jpgドイツ帝国マーク.png
国籍マーク
オーストリア=ハンガリー帝国
Austro-Hungarian Empire
ハプスブルク家の統治するハプスブルク君主国を再編することで1867年に成立。
オーストリアとハンガリーは別々の政府に統治されるが、オーストリア皇帝たるハプスブルク家がハンガリー国王を兼任し、軍事・財政・外交を執り行う体制を採ることからオーストリア=ハンガリー「二重」帝国とも呼ばれる。
深刻な民族問題(9言語16民族5宗教)を抱えており、オーストリア=ハンガリー帝国への再編はハンガリーへ広範な自治権を与えることで民族問題を緩和することであった。
しかし帝国の再編というものは帝国の抱える複雑な民族問題にとっては焼け石に水であり、この民族問題が第一次世界大戦の遠因となってしまう。
それがいわゆる汎スラヴ主義の台頭である。汎スラヴ主義とはスラヴ人の国家的統一を志向するものであり、故に帝国ではスラヴ人地域のオーストリアからの離脱を主張していたのである。
この汎スラヴ主義運動が1908年のオーストリアによるボスニア=ヘルツェゴビナ併合とスラヴ人国家セルビアが1912~1913のバルカン戦争によって領土拡大を果たしたことによって苛烈化し、更にそれをスラヴ人国家であるロシア帝国が支持する姿勢を見せていたのであり、当時の帝国にとっては目の上のたんこぶだったのだ。
そのさなかの1914年6月28日、ボスニア・ヘルツェゴビナにてセルビア人によるオーストリア=ハンガリー帝国皇太子の暗殺事件が発生(サラエボ事件)してしまい、これが切っ掛けとなってオーストリアはセルビアとの全面戦争に突入する。
austro.jpgオーストリア・ハンガリー帝国マーク.png
国籍マーク
オスマン帝国
Ottoman Empire
1299年に成立したといわれるイスラム帝国。15世紀~16世紀前半においては名実ともに世界最強国家であり、欧州統一・カトリック世界帝国成立を妨げ続けていた。
しかし17世紀になるとオスマン帝国の勢力は衰え、1683年~1699年の大トルコ戦争、1700年~1721年の大北方戦争、1716年~1718年の墺土戦争などで領土縮減、さらに西欧産業革命によって国力は列強化した西洋国家に引き離されてしまった。
これに対してオスマン帝国は軍・政府機構の近代化、人材育成、中央集権化などの近代化政策を行って差を埋めようとしたが、そのさなかにもクリミア戦争が発生しており、近代化・戦争遂行のために西欧列強からの多額の借款を頼ってしまい、経済も貿易特化体制を採ろうとしたため西欧への原材料輸出中心の経済体制に移行、すなわち西欧の植民地のごとき様相を成してしまい、1875年に西欧金融恐慌と農産物不作によってオスマン帝国財政は破綻してしまう。
そして追い打ちを掛けるように1878年に露土戦争でロシアに敗北、1911年には伊土戦争に敗北するなどその版図はさらに縮減し、バルカン半島及びリビアを失ってしまう。
バルカン半島の覇権を失ったオスマン帝国は、当時拡大しつつあったスラヴ人民族運動とそれに伴うロシアの進出を警戒し、ドイツと密約を締結、対ロシア戦争での同盟を約束する。
そしてオーストリア・セルビア全面戦争に伴いロシアが参戦、これに対してドイツが参戦することで、オスマン帝国もロシアを叩き覇権を取り戻すべく、ドイツ・オーストリアの同盟国として参戦を決定することになる。
osumann.jpgオスマン帝国マーク.JPG
国籍マーク
連合国イギリス帝国
British Empire
1609年に成立。イギリス本国とその植民地・海外領土の総称であり、1922年には世界史上最大の面積を持つ帝国であった。
19世紀のイギリスは植民地政策を重視しており、本国への飛び火を避け、無駄な出費を避けるべく基本的にヨーロッパ大陸における紛争には介入せず、どの国とも同盟関係にならない孤立主義政策をとっていた。例外的にヨーロッパの勢力均衡が脅かされそうな場合には弱い方について均衡を回復するために参戦することはあり、クリミア戦争における対ロシア参戦はその例である。またその軍事力を背景にヨーロッパの覇権を狙う勢力の拡大を事前に予防する役割に自らを位置づけていた。これを「栄光ある孤立」という。
この「栄光ある孤立」が転換したのは1902年の日英同盟、1904年の英仏協商、1907年の英露協商である。その背景にはアメリカ合衆国・ドイツ帝国といった後発国の発展がイギリスの軍事的・経済的優位を脅かしたことと、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟とフランス・ロシアの露仏同盟によりヨーロッパ勢力の二極化が始まったことによってイギリスはヨーロッパ外交において弱い立場に立たされてしまい、いわば「栄光なき孤立」の可能性が出てきたことがあった。ここでイギリスはフランス・ロシア側の陣営に立つことになる
またイギリスはかねてからイギリス本国の保全のためにブリテン島対岸部の独立・中立国化を推進しており、その代表的なものが中立国ベルギーであった。イギリスはベルギーの保全のためベルギーを侵略した国家に対する参戦を表明していたのである。
やがて1914年8月1日、ドイツ帝国は対ロシア・フランス開戦に踏み切り、シュリーフェン・プランを発動して中立国ベルギーを侵略したため参戦することになる。
brit.jpgイギリス帝国マークt.png
国籍マーク
イタリア王国
Kingdom of Italy
イタリア北西部とサルデーニャ島を支配していたサルデーニャ王国がイタリア全土に伸張し、イタリア王の称号を復活させて1861年に成立、1912年の伊土戦争での勝利によってリビアを獲得し、他国に遅れを取りながらも植民地を獲得する。
イタリアは当初ドイツ・オーストリアとの三国同盟を締結しており、一次大戦参戦までは同盟国側の国家であった。フランスによる1881年のチュニジア侵攻を切っ掛けとしてイタリアはフランスのとる領土拡張論と対立し、同様にフランスを押さえ込みたいドイツ・オーストリアと利害が一致、フランス包囲網を構築したのである。
しかしイタリアはオーストリアとの間に領土問題を抱えていた。それがイタリア王国成立時から残る「未回収のイタリア」問題である。イタリア王国の前身であるサルデーニャ王国はイタリア統一を果たすべく、イタリア北部の小国家に影響力を及ぼしていたオーストリアとの間でイタリア独立戦争を行い一定の成果を収め、イタリア王国を成立させた。しかし旧ヴェネツィア共和国領や南チロルなどの最北部は依然として統一されないままとなっていたのである。イタリア王国は強い民族統一思想を抱いており、この「未回収のイタリア」回収はイタリア王国の悲願であった。
この「未回収のイタリア」問題が三国同盟に亀裂をもたらした。いうなれば三国同盟は「未回収のイタリア」問題によって最初から完全な同盟関係ではなかったのである。1914年のオーストリアとセルビアの開戦時、イタリアは中立を宣言。さらに1915年のロンドン密約によってイギリス・フランス・ロシア三国協商から一次大戦終結後の「未回収のイタリア」獲得の確約を得たことで同年連合国側として参戦する。
italian.jpgイタリア王国マーク.png
国籍マーク
アメリカ合衆国
United States of America
元々イギリス植民地であったが、1775年のアメリカ独立戦争を経て1783年パリ条約で独立を果たした連邦制国家。
独立当初は現在の4分の一程度の領土、北アメリカ大陸の東側のみであったが、北西インディアン戦争の勝利、西部開拓、フランスからのルイジアナ買収、米英戦争、スペインからのフロリダ買収、インディアン移住法、テキサス併合、オレゴン条約、米墨戦争によるメキシコからの割譲で1848年に現在のアメリカ本土が成立、さらに1898年までにアラスカ・ハワイを獲得、さらに同年の米西戦争での勝利によってグアム、フィリピン、プエルトリコを植民地にし、キューバを保護国に指定する植民地保有国家となる。この間インディアンとの抗争が頻発しており、かつてのインディアンの土地を巡る問題は現在になっても未だ解決されていない。また1861年に南北戦争が勃発しているが、その終結によって世情が安定したこともあって産業が躍進、電球や電話など様々な発明が生み出され、またアメリカの国力も躍進する黄金時代を迎える。
外交面についてはモンロー主義に基づきアメリカ領土・植民地保全を除いてはヨーロッパ大陸に対して干渉しない孤立主義外交を長らく取っており、第一次世界大戦に対しても不干渉の方針をとって中立国の立場を守っていた。
しかしそのさなか、ドイツの無制限潜水艦作戦によって128名のアメリカ国民の死者が出るルシタニア号事件が発生して対独感情が悪化、ドイツはこの事件などをうけて無制限潜水艦作戦を一度中止するが、1917年に再開してしてしまったことで更に対独感情が悪化し、またツィンメルマン電報事件によってドイツがメキシコに日本の対米参戦の説得を要求していたことが判明すると、米国vs独墨の図式が明確になってしまい、アメリカ世論は一気に対独開戦に傾いていく。
ame.jpgアメリカ合衆国マーク.png
国籍マーク
DLC"They Shall Not Pass"1789年のフランス革命によって共和制国家としてのフランスが成立(第一共和政)、しかしそれから政治的混乱が続き、帝政(第一帝政)・立憲君主制(7月王政)・共和制(第二共和制)・帝政(第二帝政)とその体制はコロコロ変わっていた。その後1870年の普仏戦争の敗北に際し第二帝政が終了。一瞬社会主義・共産主義体制になりかけたあと成立したのが一次大戦時のフランスである。(第三共和制)
第一次世界大戦が「世界大戦」と呼ばれるまでに拡大した原因の一つがフランスとドイツの対立であった。
その対立というのは1866年の普墺戦争以降ドイツ統一の動きが加速したことに始まる。ドイツ統一はプロイセン(と他のドイツ諸国)にとっては悲願であったが、フランスにしてみればすぐ隣に強大な軍事国家が出現するという笑えない事態を意味していたのだ。そのためフランスはドイツ統一の動きを全力で妨害しようとし、プロイセン(とドイツ諸国)は当然これに反発、この対立の末にまず勃発したのが普仏戦争である。
この普仏戦争に勝利したプロイセンはドイツ帝国の盟主として君臨し、三国同盟・独露再保障条約によってフランス包囲網を構築していったのだが、一方大敗北を喫したフランスは多額の賠償金と大工業地帯であったアルザス・ロレーヌ地方を奪い取られたことで反独感情が先鋭化し、ナショナリズムに結合していく。
その後フランスとドイツは長らく外交争いを繰り広げ、やがて1891年の露仏同盟によって逆にドイツをフランス・ロシアで挟み撃ちにする体勢を構築、後にイギリスも加わって三国協商が成立し、三国同盟との二大勢力体制が完成する。更にこの外交争いはフランスが第二帝政時代から積極的に行っていた植民地獲得の場でも繰り広げられていった。
そのさなか、1914年のオーストリアによる対セルビア開戦に伴い、ドイツはロシア、そして長年の仇敵フランスに宣戦を布告する。
フランス共和国
French Republic
French.pngフランス共和国マーク.png
国籍マーク
DLC"In the Name of the Tsar"リューリク朝断絶後の動乱時代、ロマノフ朝はその収拾を図るべく成立した。ロマノフ朝は西欧的な専制国家体制樹立に成功し、更に1721年の大北方戦争で勝利。これを機にインペラートル(皇帝)の称号を得てロシア帝国が成立。その後も順調に国力を増していく。
その成長は18世紀の自由主義改革によって加速、ロシアは晴れて西欧列強の一つとなるが、その後の改革はことごとく頓挫。更にナポレオン戦争(1803~1815)に参戦し勝利するが、その経験が自由主義の放棄に繋がってしまう。ロシアは既に産業革命に立ち後れていたのだが、自由主義の放棄によって発展の芽も自ら摘み取ってしまうこととなった。
その後いわゆる「大改革」や「上からの工業化」によってロシア経済は幾分か成長したが、十分の基盤なく行われた急激かつ無理な近代化は労働者・農民を苦しめ、更に日露戦争の敗北もあって反政府運動が高揚、テロと暴動の混乱の時代に突入する。
一方、国外では露独関係が悪化していく。ロシアとドイツは1887年に独露再保障条約を締結していたが、1890年にドイツが条約更新を拒否。代わりにロシアはフランスと露仏同盟を締結する。さらにドイツが軍拡と海外進出を強化し、また露仏のもう一つの敵イギリスが露仏にすりよることで、露独対立が鮮明となってしまう。
また露墺関係も悪化していく。オーストリアの頭痛の種は民族対立であったが、一方ロシアは国内の混乱をナショナリズムで収拾し、またバルカン半島での影響力を増すべく、汎スラヴ主義の盟主を自認して民族運動を煽る立場にあった。そのさなか1912、13年のバルカン戦争発生に伴うセルビア拡大がスラヴ人民族運動を激化させ、民族運動を巡り露墺関係がこれまで以上に悪化することとなった。
そして1914年。サラエボ事件が発生する。オーストリアはセルビアとの全面戦争に突入し、ロシアは汎スラヴ主義によって国内の混乱を収拾し、更にバルカン半島での影響力を確保すべく、セルビア支援を名目に総動員令を発令する。
ロシア帝国
Russian Empire
Russia.jpgDLC提供
国籍マーク
赤 軍DLC"In the Name of the Tsar"
赤軍
Red Army
ロシアでは1861年の農奴解放以後も農民の生活向上は緩やかで、封建的な社会体制に対する不満が継続的に存在していた。また、19世紀末以降の産業革命により工業労働者が増加し、社会主義勢力の影響が浸透していた。これらの不満は日露戦争時、苦戦が続くロシア国内で血の日曜日事件や戦艦ポチョムキンの反乱などの形で革命運動が発生した。しかし、皇帝ニコライ2世は十月勅令で国会開設と憲法制定を発表し、ブルジョワジーを基盤とする立憲民主党の支持を得て革命運動の一応の鎮静化に成功した。だが、第一次世界大戦にロシア帝国が参戦し、前述の皇帝による改革は停滞する事となる。第一次世界大戦はロシア不利のまま長期間に及ぶようになり、ロシア経済の混乱と低迷も一層ひどくなっていった。1917年遂に不満が爆発し、「パンをよこせ」「戦争反対」「専制打倒」を掲げるストライキ運動が発生し、ニコライ2世は軍にデモやストの鎮圧を命じた。しかし鎮圧に向かった兵士は次々に反乱を起こして労働者側についた。また、亡命中であったレーニンがドイツ帝国によるロシア帝国の混乱を意図した封印列車に乗りロシア国内へ送られる。これにより革命思想は激化しロシア国内は一層混乱の中に入る事となる。革命運動により帝政は軍を維持する事が出来なくなり、ロシア皇帝ニコライ2世は退位、後継者として指名された弟も継承を拒否し、後継者のいなくなったロマノフ王朝は1613年からの304年間に及ぶ歴史に終止符を打ち崩壊した。レーニン率いる人民委員会議(ソヴィエト政権)は革命人民部隊である赤衛隊を基に、「労働者・農民赤軍(労農赤軍)」の創設した。赤軍は志願兵で構成されており、将校は民主的な選挙から選ばれていた。兵士は労働者、離脱軍人、知識人に農民とバラバラで共産思想を元に革命の為の軍隊として戦闘継続中の第一次世界大戦でペトログラードへ進むドイツ軍の侵攻に赤軍が抵抗を行っていた。しかし、戦闘継続が困難で混乱や物資不足に職業軍人の不在に苦しみ、ドイツ帝国やオーストリア=ハンガリー帝国の優位そのものは覆せず、ブレスト=リトフスク条約により敗北を認めた講和に踏み切り、第一次世界大戦から離脱した。離脱後も白軍(ロシア帝国残党、共和主義者、反共主義者に各国干渉軍)とのロシア内戦を1922年まで戦い抜き、ソビエト連邦成立の先兵として勝利に貢献する。尚、当初は志願制であったが後に徴兵制に移行、不足する職業軍人からの技術継承(大砲の運用や軍艦の操舵など専門知識が不足していた)を目的として旧ロシア帝国軍人を登用し、労働者及び農民の軍隊から戦闘専門の軍隊へと改革を行う。その際に共産革命に貢献する意欲の低い旧帝国軍人を監視し、指導教育する為に政治将校制度なども導入されている。
red.jpgDLC提供
国籍マーク

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  • でもドイツ革命で帝政が倒れて臨時政府が休戦したせいでドイツに戻った前線の部隊や東部戦線の部隊が義勇軍作って革命側どころか民間人巻き添えの大量虐殺発生したけど「我々はあの泥みたいな塹壕で何年も耐えてたのに国民はそれを裏切った、虐殺されて当然」って義勇軍の将校が言ってるから何とも言えないなぁ… -- 2018-01-19 (金) 20:05:17
    • 実際革命派や市民が帰還兵から勲章はぎ取って「革命に参加しよう!」なんて言ったらそりゃあたまったもんじゃねえわ -- 2018-01-22 (月) 16:14:05
    • 国民「食い物もないのにどうすればええの?(怒り)」 -- 2018-01-26 (金) 19:40:25
  • 結局大日本帝国軍は出なかった・・・何故だ!?旧日本軍がなにをしたっていうんだ!、38式やアラレちゃんじゃ足りん! -- 2018-04-26 (木) 22:31:00
    • 万歳エディションかな -- 2018-04-27 (金) 10:12:27
  • 同盟国側が少なすぎる -- 2018-04-27 (金) 09:08:24
    • ブルガリア王国「数少ない同盟国側なのになぜ追加されない」 -- 2018-05-03 (木) 23:20:27
  • 青島攻略戦だけでもいいから日本軍実装されないかな。あと同盟軍も増えないかな。DLCで連合はどんどん増えるけど、同盟側は3国だけとか少なすぎる -- 2018-05-02 (水) 22:28:15
    • 同盟国はあとブルガリアだけなんだよなぁ 日本軍は多分次回作で出るから慌てんな -- 2018-05-04 (金) 09:54:32
    • もし仮に日本軍が出るとするなら青島とシベリア出兵くらいだしね。シベリア出兵に関してはロシア革命よりWW1から本筋離れてるし、やっぱ日本軍登場はBF5に期待するしかないんじゃいかな。 -- 2018-05-14 (月) 13:44:10
    • そんなにボロボロに敗戦する日本軍を見たいのかね -- 2018-05-14 (月) 14:42:40
      • おまいらの大好きな史実に忠実だぞ。見たいに決まってるじゃないか -- 2018-07-11 (水) 10:56:13
    • ガリポリの戦いでイギリス軍が撤退を決意した理由の一つにブルガリアの参戦があったからTurning Tidesで実装してくれても良かったと思うんだが…(え、特にブルガリアは連合軍と大きな戦闘が無い?) -- 2018-07-14 (土) 12:39:40
  • BFV来たら今度は鉄衛団&ユーゴ軍参戦に期待かな -- 2018-05-28 (月) 17:39:15
    • 申し訳N緑色基地教団の参戦はNG -- 2018-06-30 (土) 02:32:11
  • 遠くを飛ぶ飛行機の国籍が全く判別できん。敵の飛行機と味方の飛行機見分けるいい方法ないかね -- 2018-06-07 (木) 22:25:27
  • 最近ドイツ&オスハンあたりが異常な程強くなってくれて嬉しい... 嬉しくない? -- 2018-06-15 (金) 23:53:11
    • 嬉しいさそりゃ -- 2018-06-29 (金) 16:58:25
  • オスハンで草 -- 2018-06-25 (月) 21:29:23
    • オスマンの誤字だと思ったら墺洪帝国の略称なのか…… -- 2018-07-11 (水) 10:47:18
  • 最近気づいたんだが露仏同盟組まれた時点でドイツ詰んでね?WW1回避できてもロシアの工業化が進めばシェリーフェンプランの前提が崩れる訳だし -- 2018-12-01 (土) 00:39:49
  • 今更いうことでもないけど、なんでドイツ軍(あと初期実装のオスマン軍)の制服はオーストリア軍服の色違いを元にした奴で実装したんだろう?せめて逆だろ -- 2025-04-11 (金) 18:09:30
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