最も早く実践運用されたサブマシンガンの一つ。その狙い通り、塹壕での掃討戦に極めて有効であったことから、ドイツ兵の間では「Grabenfeger(塹壕箒)」と呼ばれた。
用語については武器の性能表についてを参照してください。
低レート、低反動のサブマシンガン。 初期武器らしいオーソドックスな性能で、非常に扱いやすい。 今作のサブマシンガン共通の特徴として近距離の腰だめ撃ちが強い。 今作もう一つのサブマシンガンであるAutomatico M1918と比べると、装弾数、弾速、反動、精度悪化度、最低ダメージで勝るが、発射レートで大きく負ける。 よって本銃の方が瞬間火力で劣るものの、中距離性能と継戦能力ではこちらに利点がある。
ベルグマンMP18。1918年3月のドイツ軍春季大攻勢(今作オペレーションの「皇帝の戦い」)用の決戦兵器として開発されたもの。 当時の第一次大戦参加国は長期化する塹壕戦の打開に心血を注ぎ、人海戦術、航空機、戦車、毒ガスといったアイデア・新兵器が実行に移されていたのだが、結局のところこれらは塹壕戦の膠着状態を打開するには至らず決定打とはなりえなかった。 そこで最終的に「塹壕戦を決するには歩兵による白兵戦によって塹壕を制圧するしかない」というありきたりな結論に至ることになるのだが、そこでドイツ帝国が数年の時を経て生み出したアイデアが「敵陣地に肉薄できれば拳銃弾の威力でも弾幕を張れば十分に制圧できる」というものである。 ここに世界初の軽機関銃のコンセプトが生まれ、このコンセプトに応じた武器としてベルクマン武器製造社で開発されたのがMP18である。 ドイツ軍春季大攻勢においては5,000挺のMP18が調達され、この活躍によってドイツ軍は連合軍の塹壕線の突破に成功、わずか8日で65kmを前進し、パリを巨大列車砲「パリ砲」の射程内に収めて砲弾の雨を降らせることになったのである。 このMP18は「長距離での命中精度は度外視、オープン・ボルト状態からの射撃でフルオートのみ」という現在まで続く短機関銃の基本設計を既に実現しているものであった。 その完成度の高さから、第一次大戦終結後連合国はドイツ軍から当時生産されていたMP18を全て接収し警察組織に支給していた他、この時期に世界各国で勃発していた紛争でも本銃が横流しされて使用されており、 更にSIG社やスペインでもライセンス生産が行われ、SIG製のMP18は日本にも輸入されて海軍でベ式機関短銃として採用されることで日本で初めて採用された軽機関銃となって後の国産軽機関銃のルーツになってたり、 またドイツ国内でも条約に違反してまで秘密裏に製造されつづけて国内のドイツ義勇軍に供給、二次大戦でも武装親衛隊や国民突撃隊で使われ続けたりしている。
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