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Chauchat のバックアップ(No.27)
脱着式マガジンと極めて珍しいロングリコイル機構を備えたフランスの軽機関銃。
現在 用語については武器の性能表についてを参照してください。 特徴、アドバイス、補足
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主に個別の適応について記載されています。軽微な情報は省いてます。また全体の変更により仕様が変わっている場合がありますのでパッチ情報で確認して下さい。

FM mle1915軽機関銃(Fusil-Mitrailleur mle 1915 CSRG)。通称ショーシャ軽機関銃。1915年に開発されたフランス軍の軽機関銃である。
CSRGは開発者のポール・リベイロールス(Paul Ribeyrolles)、シャルル・シュター(Charles Sutter)、ルイ・ショーシャ(Louis Chauchat)の三人の苗字とグラディエートル(Gladiator)という製造業者の頭文字をとった通称。
この三人の開発者はRSC 1917の開発者でもある。
おそらく最も有名な軽機関銃である。悪い意味で。
しかし本銃によって軽機関銃の運用コンセプトが確立され、その後の歩兵の戦いを大きく変えることとなる。
ショーシャ機関銃以前にも各国では軽量化した重機関銃として、または強力な自動小銃として軽機関銃の開発は盛んに行われていた。*1
しかし、当時の技術の限界もあり重機関銃の代替としては信頼性が低くてすぐに過熱し、
ライフルの代替としては重くコストが高いこれらの黎明期の軽機関銃たちを陸戦用に大規模に採用する国は少なく、
20世紀の主役となる近代兵器がほぼそろい踏みした日露戦争でもロシア軍騎兵が少数のMadsen MGなどを使用するに留まった。
ところが、第一次世界大戦ではこの状況は一変する。
19世紀末期から第一次世界大戦が始まるまで、歩兵はお互い2歩(1歩は70cm前後)程度の間隔で横一線に散開して、
1000m前後から小銃で弾幕射撃を行い敵を制圧しながら前進し、最後に突撃するという戦い方が基本とされており、*2
歩兵の武器がライフルだけでも充分に火力と射程が発揮できるとされていた。また、部隊行動の最小単位は基本的には中隊(200~250人程度)であり、小隊長や分隊長は中隊長の補佐としての意味合いが強かった。
しかし、第一次世界大戦がはじまると新型野砲や重機関銃が大量に投入され、
従来の密集隊形や小間隔に散開した隊列では被害が大きく、これらの新型兵器の被害を低減するため歩兵はどんどん散開して各兵間隔は4~6歩に、また小隊(30~50人)や半小隊(15~19人)、分隊(7~13人)のような小さな部隊単位で行動するようになっていった。
だが、このように歩兵がどんどん分散してしまうと、散兵線に配列される銃数が減少するために火力が低下してしまい、また突撃の威力が小さくなってしまうといった問題が生じた。そのため、歩兵は砲兵の支援無くしては前進できないとまで言われるようになる。
そこで分散した小部隊を支援するためフランス軍は軽機関銃を大量配備し火力の底上げすることを考えた。
設計構想は「完全に一人で扱えて小銃兵の進撃について行ける軽量な支援火器を作ろう」というもので、*3
このコンセプトを元に設計し、更に「そうだ小さい工場でも作れるように部品の精度適当でも動くようにすれば生産性も良くなるな」という、さながらAK47の如き発想も加えられ、最先端のプレス加工も採用。
1916年*4、このショーシャ軽機関銃が誕生した。
このショーシャ軽機関銃、当時の連合国主力軽機関銃よりも2kg以上軽く、部品公差が大きいため生産性は抜群。
弾薬は主力小銃Lebel Model 1886と同じ8×50mmR Lebelライフル弾を用いるので弾薬供給にも困らず、威力も良好。
装弾数は20発。弾倉が張り出して伏せ撃ちの邪魔にならないよう半円形弾倉に収められる。それも残弾確認用の窓までついている。
また取り回しの良さを求めてピストルグリップを採用している。
ソンムの戦いにおいて初めて大量投入された本銃は後述する様々な問題を生じながらも、両陣営に大きな衝撃を与えフランス軍以外でも軽機関銃の大量配備が急速に進むことになる。
ソンム戦の時点では軽機関銃は小隊に1挺だったが、1917年からは半小隊に1挺に配備数が増加し、併せて部隊行動の単位も小隊から半小隊へと低下した。また、この頃からフランス軍では小部隊戦術が改良され、歩兵の独立性が向上していった。
基本的に散開隊形は横一線の横列であり、前進後退はまだしも、側方の敵の拠点を包囲するといった機動が行い難かった。
1917年9月以降、フランス軍は15~19名程度からなる半小隊が下士官の指揮の下で独立して行動することとし、各半小隊に1挺の軽機関銃を配備してその掩護下で前後左右自由自在に機動できるように改めた。*5
軽機関銃はこういった小部隊の火力の中核を担う存在であり、非常に重要な存在だった。
ここまで書くと名銃である。しかしRSC 1917と同様に、前線での評価はよろしくなかった。というか最悪であった。
本来なら名銃になるはずの要素がことごとく裏目に出たのである。
もう面倒なので箇条書きにする。
・超軽量→銃が反動軽減のカウンターウェイトにならない=反動強すぎ
・最先端のプレス加工→最先端=洗練されていない=壊れやすい
・公差の大きな部品設計→つまりはそもそも設計がガバガバ=壊れやすい
・小銃と同じ8×50mmR Lebelライフル弾を用いる=機関部に引っ掛かり易いリムド弾薬の為に給弾・排莢不良*6
・半円形弾倉→これもプレス加工なのですぐ変形して給弾不良
・残弾確認窓→泥や水や砂塵が侵入して給弾不良
・冷却機構が不完全→元々の壊れやすさとの相乗効果
最悪である。
アメリカ軍はこれを7000挺購入したが、大半のアメリカ兵は本銃を投げ捨ててドイツ軍の軽機関銃を使った。
このように最悪の軽機関銃であるが、調達数も多かったためこれで戦い抜いた兵士も結構いる。
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