Chauchat のバックアップの現在との差分(No.28)
脱着式マガジンと極めて珍しいロングリコイル機構を備えたフランスの軽機関銃。
現在 用語については武器の性能表についてを参照してください。 特徴、アドバイス、補足DLCThey Shall Not Passで実装。高威力と特徴的な見た目がウリの軽機関銃。 超高威力超低レート低弾速と非常に尖った性能を持ち、過去作で言うところのバトルライフルに近い。 反動は全体的に強め。縦反動は軽機関銃の中でも最も強いが、横反動はそこまででもなく素直な部類。 またこう見えて精度は悪くなく、むしろ良い。概ねBAR M1918と同等。 腰だめ移動時精度だけが違うが、なんと本銃の腰だめ移動時精度は軽機関銃の中でも最も良い。
DLCThey Shall Not Passで実装。高威力と特徴的な見た目がウリの軽機関銃。超高威力、超低レート、低弾速、小容量マガジンとかなり尖った性能を持ち、過去作で言うところのバトルライフルに近い。 反動は全体的に強め。縦反動は軽機関銃の中でも最も強いが、横反動はそこまででもなく素直な部類。BAR M1918の塹壕/望遠とほぼ一緒。またこう見えて精度は悪くなく、むしろ良い。こちらはBAR M1918と同等。 腰だめ移動時精度だけが違うが、なんと本銃の腰だめ移動時精度は軽機関銃の中でも最も良い。ヘルリーゲルやSMG08/18と同じぐらいで近距離なら腰だめで十分捌ける。 特筆すべきはやはりその威力。最高威力は35、20mまでなら胴体3発キル、 問題は軽機関銃ダントツ最下位の359RPMという激遅発射レート。 これにより精度回復が遅く、また撃ち漏らしが多くなり中遠距離以遠の確殺力に乏しい。近距離もそうだがフルオート銃であることに甘えないしっかりしたAIM力が必要となる。 どちらかと言えばLMGより、フルオート射撃可能な大トロといった方がいいかも知れない。 特筆すべきはやはりその威力であろう。 最高威力は35、12mまでなら胴体3発キル、30mまでなら胴体4発と、これまでの軽機関銃には考えられなかった威力を得ている。 問題は359RPMという激遅発射レート。軽機関銃ダントツ最下位である。 しかしこれでもTTKは12mまでならBARを超え、それ以降の距離でもM1909 Benet-Mercieに並ぶ。 問題は低レート故に撃ち漏らしが多く、中遠距離以降の確殺力に乏しいこと。近距離もそうだが、フルオート銃であることに甘えないしっかりしたAIM力が必要となる。 連射時の精度完全回復は7発目から。
主に個別の適応について記載されています。軽微な情報は省いてます。また全体の変更により仕様が変わっている場合がありますのでパッチ情報で確認して下さい。
ゲーム内映像銃器紹介FM mle1915軽機関銃(Fusil-Mitrailleur mle 1915 CSRG)。通称ショーシャ軽機関銃。1915年に開発されたフランス軍の軽機関銃である。 恐らく悪い意味で最も有名な軽機関銃であろうが、本銃によって軽機関銃の運用コンセプトが確立され、その後の歩兵の戦いを大きく変えた銃でもある。 おそらく最も有名な軽機関銃である。悪い意味で。 しかし本銃によって軽機関銃の運用コンセプトが確立され、その後の歩兵の戦いを大きく変えることとなる。 ショーシャ機関銃以前にも各国では軽量化した重機関銃として、または強力な自動小銃として軽機関銃の開発は盛んに行われていた。*1 しかし、当時の技術の限界もあり重機関銃の代替としては信頼性が低くてすぐに過熱し、 ライフルの代替としては重くコストが高いこれらの黎明期の軽機関銃たちを陸戦用に大規模に採用する国は少なく、 20世紀の主役となる近代兵器がほぼそろい踏みした日露戦争でもロシア軍騎兵が少数のMadsen MGなどを使用するに留まった。 ところが、第一次世界大戦ではこの状況は一変する。 19世紀末期から第一次世界大戦が始まるまで、歩兵はお互い2歩(1歩は70cm前後)程度の間隔で横一線に散開して、 1000m前後から小銃で弾幕射撃を行い敵を制圧しながら前進し、最後に突撃するという戦い方が基本とされており、*2 歩兵の武器がライフルだけでも充分に火力と射程が発揮できるとされていた。また、部隊行動の最小単位は基本的には中隊(200~250人程度)であり、小隊長や分隊長は中隊長の補佐としての意味合いが強かった。 しかし、第一次世界大戦がはじまると新型野砲や重機関銃が大量に投入され、 従来の密集隊形や小間隔に散開した隊列では被害が大きく、これらの新型兵器の被害を低減するため歩兵はどんどん散開して各兵間隔は4~6歩に、また小隊(30~50人)や半小隊(15~19人)、分隊(7~13人)のような小さな部隊単位で行動するようになっていった。 だが、このように歩兵がどんどん分散してしまうと、散兵線に配列される銃数が減少するために火力が低下してしまい、また突撃の威力が小さくなってしまうといった問題が生じた。そのため、歩兵は砲兵の支援無くしては前進できないとまで言われるようになる。 ところが、第一次世界大戦ではこの状況は一変する。19世紀後半から第一次世界大戦前までは、歩兵はお互い1歩~3歩(1歩は70cm前後)程度の間隔で横一線に散開し、 1000m前後からライフルで敵へ弾幕を張って制圧射撃を行いながら前進し、最後に突撃するという戦い方が基本とされ*3、 歩兵火力はライフルのみによって担われていた。隊形も現代的な視点からすれば兵員の密度が高いものだった。 また、大戦初期までには機関銃が一般歩兵に装備されるようになるが、数は少なく(連隊に6挺程度)、歩兵火力の主体足り得るものではなかった。 しかし、第一次世界大戦では新型の野砲や重砲に進化した砲兵の間接照準射撃システム、より装備数の増大した機関銃など、戦闘場裏は従来とは異なった様相を見せ始めていた。 そのため、従来の隊形では被害が大きくなり、これらの新型兵器の被害を低減するため歩兵の散開間隔は4~6歩或いはそれ以上に増大し、またより小さな部隊単位で行動するようになっていった。 だが、歩兵がこのように分散すると従来通りのライフル主体の歩兵火力では火力の密度が低下し、また突撃の威力も低下してしまう問題が生じ、「歩兵は砲兵の支援無くしては前進できない」とまで言われた。 そこで分散した小部隊を支援するためフランス軍は軽機関銃を大量配備し火力の底上げすることを考えた。 設計構想は「完全に一人で扱えて小銃兵の進撃について行ける軽量な支援火器を作ろう」というもので、*4 このコンセプトを元に設計し、更に「そうだ小さい工場でも作れるように部品の精度適当でも動くようにすれば生産性も良くなるな」という、さながらAK47の如き発想も加えられ、最先端のプレス加工も採用。 1916年*5、このショーシャ軽機関銃が誕生した。 そこでフランス軍では、分散した小部隊を支援するため軽機関銃を大量配備し火力の底上げすることが考えられた。 設計構想は「完全に一人で扱えて小銃兵の進撃について行ける軽量な支援火器を作ろう」というもの*6で、このコンセプトを元に、 「生産性を上げるため、小さな工場でも作れるよう部品精度を落とす」という、後のAK47に近い発想を加え、発展途上のプレス加工も採用し、1916年*7にショーシャ軽機関銃は誕生した。 このショーシャ軽機関銃、当時の連合国主力軽機関銃よりも2kg以上軽く、部品公差が大きいため生産性は抜群。 装弾数は20発。弾倉が張り出して伏せ撃ちの邪魔にならないよう半円形弾倉に収められる。それも残弾確認用の窓までついている。 装弾数20発の弾倉は張り出して伏せ撃ちの邪魔にならないよう、半円形弾倉に収められる。それも残弾確認用の窓までついている。 また取り回しの良さを求めてピストルグリップを採用している。 ソンムの戦いにおいて初めて大量投入された本銃は後述する様々な問題を生じながらも、両陣営に大きな衝撃を与えフランス軍以外でも軽機関銃の大量配備が急速に進むことになる。 ソンムの戦いにて初投入された本銃は後述する様々な問題を生じながらも、大量配備が急速に進むことになる。 ソンム戦の時点では軽機関銃は小隊に1挺だったが、1917年からは半小隊に1挺に配備数が増加し、併せて部隊行動の単位も小隊から半小隊へと低下した。また、この頃からフランス軍では小部隊戦術が改良され、歩兵の独立性が向上していった。 基本的に散開隊形は横一線の横列であり、前進後退はまだしも、側方の敵の拠点を包囲するといった機動が行い難かった。また、小隊に軽機関銃が1挺配備された後も、敵の拠点を包囲するような機動は小隊ではなく中隊が単位になる傾向があった。 1917年9月以降、フランス軍は15~19名程度からなる半小隊が下士官の指揮の下である程度独立して行動することとし、各半小隊に1挺の軽機関銃を配備してその掩護下で包囲等の機動を駆使して敵の小拠点を攻略できるようにした。*8 軽機関銃はこういった小部隊の火力の中核を担う存在であり、非常に重要な存在だった。 上述の通り本銃は大戦中重要な役割を担っていた。しかしRSC 1917と同様に、前線での評価はよろしくなかった。というか最悪であった。 本来なら名銃になるはずの要素がことごとく裏目に出たのである。 もう面倒なので箇条書きにする。 本来なら名銃になるはずの要素がことごとく裏目に出てしまったのである。もう面倒なので箇条書きにする。 ・超軽量→銃が反動軽減のカウンターウェイトにならない=反動強すぎ ・最先端のプレス加工→最先端=洗練されていない=壊れやすい ・公差の大きな部品設計→つまりはそもそも設計がガバガバ=壊れやすい ・小銃と同じ8×50mmR Lebelライフル弾を用いる=機関部に引っ掛かり易いリムド弾薬の為に給弾・排莢不良*9 ・半円形弾倉→これもプレス加工なのですぐ変形して給弾不良 ・残弾確認窓→泥や水や砂塵が侵入して給弾不良 ・冷却機構が不完全→元々の壊れやすさとの相乗効果 最悪である。 アメリカ軍はこれを7000挺購入したが、大半のアメリカ兵は本銃を投げ捨ててドイツ軍の軽機関銃を使った。 ・冷却機構が不完全→元々の壊れやすさとの相乗効果・・・と最悪である。 このように最悪の軽機関銃であるが、調達数も多かったためこれで戦い抜いた兵士も結構いる。 しかし、上記の評判の大半、というよりマガジンと弾以外はすべてアメリカ用に再設計されたM1918ショーシャ機関銃であったという見方が強い。 M1918はオリジナルの最大の問題でもあったマガジンの溝を排除、更に貧弱であった二脚も改善し、アメリカ軍の弾薬である30-06弾用に再設計されたモデル。 しかし元々ショーシャ機関銃はLebelライフル弾用に作られており、急いで開発、生産されたM1918はその想定外のパワーに耐えられず、頻繁に壊れた。 M1918は規格通りに生産できず不良品が溢れ(フランスでも初期に問題が起きたが…)オリジナルのマガジンの問題より更に酷い事となった。 アメリカ軍は文字通り配備前にこれを投げ捨ててオリジナルのショーシャを使うか、あるいはドイツ軍の軽機関銃を鹵獲して使った。 恐らく近年におけるショーシャ機関銃の悪評は、製造上の問題を抱えた初期のショーシャと、巨大な溝のマガジン、そしてこのM1918が大よその原因とされる。 しかし、銃自体は”言われているほど悪くは無い”に尽き、フランスを支えた銃ではあるが決して名銃と呼べる筋合いや完成度は無いのがこの銃の悲しい所であろう。 コメント |
最新の20件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示