Fedorov Avtomat のバックアップの現在との差分(No.2)
現代アサルトライフルの原型の一つで、脱着式のボックスマガジンから中間弾薬をセミオートとフルオートで撃つことができる。
用語については武器の性能表についてを参照してください。 特徴、アドバイス、補足DLCIn the Name of the Tsarで実装された近~近中距離向けフルオート小銃。 フルオート射撃向けに特化した性能となっており、発射レートはAutoloading 8に勝る449RPMと非常に高く、装弾数も26発あり申し分ない。 さらに反動は小さく縦に素直。精度も標準的となかなかの性能を誇る。 しかし1発の威力は自動小銃中最低。TTKは30mまではCei-RigottiやM1907 SLと同等といい方だが、それ以降はほぼセミオートライフル最遅。また弾速はM1907に並び最低。 つまるところ近距離特化型であり、近距離戦では最強格だが広いマップでは非常に分が悪い。突撃兵的な運用を求められる。 ライバルは同じ近距離向けのM1907 SL、Autoloading 8、及び全距離向けのCei-Rigotti。 M1907とCei-Rigottiは本銃と威力・発射レート・反動・装弾数を除き同性能。セミオートオンリーで射程が若干伸びたM1907、装弾数を捨てる代わりに中距離以遠の性能を大きく上げたのがCei-Rigottiとなる。 Autoloading 8は近距離向けという点を除き本銃と大きく性能が異なるが、比較すると本銃はTTKに劣る代わりに連射でのごり押しが効きやすい他、ADS精度では本銃が勝り、左右反動では本銃が劣る。
近距離戦特化モデル。腰だめ精度が向上した、本銃の高近距離TTKを活かし切る仕様。 突撃兵のような腰だめでの運用がメインとなるため、とっさの遭遇戦やガス散布時の戦闘に強い。しかし突撃兵の武器には正面から勝てないのは当然の話。 その一方で中~遠距離戦は困難。逃げるかタップ撃ちでがんばってみるかは冷静に考えよう。
レンズサイトを搭載し、ADS精度を向上した仕様。 しっかりADSして撃つ運用がメインであり、過去作のアサルトライフルと同様の運用となる。 精度向上により中距離戦能力がマシになっているが、弾速・最低威力といった他の中~遠距離性能は全く変わっていないため過信は禁物。
ゲーム内映像銃器紹介フェドロフM1916自動小銃(Fedorov Avtomat 露語:Автомат Фёдорова)。 現在のアサルトライフルと同様の、個人携行用の軽量フルオート小銃というコンセプトで1916年開発、同年ロシア軍で配備された自動小銃である。 後にRPD軽機関銃、SKSカービン、AK-47開発の中心人物となるヴラジーミル・グリゴーリエヴィチ・フョードロフ(Владимир Григорьевич Фёдоров)のデビュー作でもある。 元々の開発開始は1906年だが、その時に試作されたのはセミオート小銃であり、クリップ装填で使用弾は専用の6.5mmフェドロフ弾(6.5mm Fedorov)。 トライアルでは良好な性能を示していたが、最終設計とは全く異なる銃器であった。 この設計が転換したのは1915年。フェドロフがフランス駐在武官となった際のことである。 フランスでChauchatを目にしたフェドロフはその設計コンセプトに惚れ込み、個人携行用の軽量フルオート小銃を目指すようになったのである。 帰国後フェドロフは従来の設計を修正、フル/セミオート切り替え機能と脱着式マガジンを追加した。 またこのコンセプトはちょうど1904年~1905年の日露戦争で既に泥沼の塹壕戦を経験していたロシア軍の方針、後の言葉で言う「突撃歩兵部隊の創設」にも合致していた。 ドイツでは一次大戦中に軽量フルオート火器MP 18を開発して突撃歩兵部隊の装備としたが、ロシアでは戦前に同様の軽量フルオート火器フェドロフM1916自動小銃の開発が始まっていたのである。 そのため本銃は開発後即ロシア軍に採用され、25000挺の生産が決定された。 しかし工業力の問題からフェドロフの構想した新弾薬の生産は行われず、イギリスで生産された日本の三八式実包を用いることとなり、比較的弱装故に射撃安定性は高まったが銃口初速は低下。 さらに同じく工業力や革命の問題から1918年には生産予定を縮小して9000挺に変更、最終的にはソ連時代を含め3200挺が生産されるにとどまった。特にロシア革命時に大量の種類の銃が使われて、ごちゃごちゃになったことで三八式実包を使う本銃が管理がめんどくさいと言う事で倉庫に回された。 そのため運用も試験運用にとどまり、評価は高かったものの元々のコンセプト通りに突撃歩兵部隊の装備として用いられる事はなかった。 ソ連時代には対フィンランド戦争で用いられ、前線でも高評価を得ていたが、今度は三八式実包の供給に窮して生産中止。 最終的には1940年まで用いられていたが、現在殆どはフィンランドの雪の中に眠っている。 コメント |
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