|
Type 38 Arisaka のバックアップ(No.12)
大日本帝国の正式ライフルとして採用されたこのライフルは、銃の不足に悩まされていたイギリス、フランス、ロシアをはじめとする連合国各国にも大量に輸出された。
特徴、アドバイス、補足
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ▼ | 解除条件 |
|
主に個別の適応について記載されています。軽微な情報は省いてます。また全体の変更により仕様が変わっている場合がありますのでパッチ情報で確認して下さい。
南部麒次郎少佐(当時)が日露戦争で使用された三十年式歩兵銃を大幅に改修し、明治38年(西暦1905年)に日本陸軍に採用されたのが三八式歩兵銃である。
三八式実包(6.5mm×50SR)を使用し、弾倉に5発装填可能。
海外では本銃や本銃の口径拡大版の九九式小銃やそれらの派生型を含め、基礎となった三十年式歩兵銃を設計した有坂成章の名をとって「Arisaka_rifle」と呼ばれる。
反動の小ささや熟練職人の手作りによる機械的な精度の高さによって命中精度は高く、
日露戦争の満州の平原において三十年式歩兵銃が度々砂塵による動作不良を起こしたことから着脱可能なダストカバーを標準装備。
遊底を構成する部品は当時最新鋭だったGewehr 98より3個少ないわずか5個と機関部は大幅に簡略化され、安全装置は防寒用の手袋をしても容易に操作可能。
さらに当時の他国の制式小銃と違い工具を使わず安全かつ容易に分解整備が可能と、他国の新鋭小銃と同等以上の機能をもつ成功作である。
前任の三十年式と本銃の登場によって、明治維新以来小銃の性能で常に遅れをとっていた日本歩兵ははじめて他の列強の歩兵と対等に渡り合うことが可能になった。
本銃の特徴はなんといっても6.5mmと当時の世界の主流よりも小さな弾薬を使用することだろう。*1
小口径弾の採用によって兵士の携行弾数は8mm弾を使用していた二十二年式村田連発銃よりも30発も多い150発になり、*2
反動が小さいため当時の小柄な日本人でも連続射撃による疲労が少なく、ガク引きを起こしにくいことから訓練や実戦での命中率の向上につながった。
日露戦争で発生した600~1000m以上での遠距離の射撃戦ではロシア軍の7.62mm弾と比べて殺傷力が過少であるとされ7.7mm弾に切り替えられる計画もあったが、
第一次世界大戦では機関銃が大量使用され小銃がそのような遠距離射撃を行うことがなくなり、新たな戦場における理想的な弾薬であるとして6.5mm弾と本銃は使用され続けた。
第一次世界大戦では連合国側に立った日本により100万挺を超える三十年/三八式歩兵銃とその派生型がロシアやイギリスなどに輸出された。
イギリスは少なくとも30万挺の本銃を購入し、主に直接戦闘を行わない後方の警備を行う部隊や海軍で使用した。
ロシアは1917年までに82万挺の三十年/三八式歩兵銃と8億発もの三八式実包を購入して、後方部隊だけでなく最前線で戦う部隊にも配備した。
開戦以来ロシア軍の小銃不足は非常に深刻で、1914年から1917年までのロシア国内での小銃の生産数は僅か330万挺であり、*3
その間に日本を含む同盟国から合計370万挺もの小銃を輸入せねばならず、日本製小銃はその内4分の1近くを占めていたことになる。
しかし昭和に入り兵器の進歩に対応するため威力のある7.7mm弾(九二式実包
)を使用する航空機関銃
や重機関銃
が採用されると、
これらと小銃や軽機関銃と弾薬の融通が全く利かないことや、非装甲の自動車に対して6.5mm弾は非力であることが大きな問題となった。
また最大の特長だった筈の三八式実包は薬莢の底にリムと呼ばれる張り出しがあるなど古い設計だったせいで、
ボルトアクションライフルで使用する分には問題なかったが、機関銃などの自動火器に使用すると作動不良の大きな原因の一つになった。*4
そこで本銃をベースにリムの無い7.7mm弾(九九式実包
)を使用する九九式小銃が開発され、小銃や軽機関銃も7.7mm弾を使うことになった。
1942年を最後に本銃の生産は中止され、全力を九九式小銃の生産に傾けたが
戦争の激化によりとても生産が追い付かず、終戦まで大量の本銃が使用され弾薬の生産や補給の足を引っ張り続けることになってしまった。
現在のアメリカの銃器市場では本銃は400ドル前後と比較的安価に販売され、弾薬も販売されていることから射撃を楽しむ愛好家は多い。
中には猟銃や競技用銃として日本に里帰りして余生を過ごしている個体もあるという。
最新の20件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示