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コーデックス/マルメゾンの戦い
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マルメゾンの戦い
THEY SHALL NOT PASS


シュマン・デ・ダームの尾根は第一次世界大戦の激戦地のひとつである。戦略上重要な高地をめぐり、複数の大規模な会戦が戦われた。フランス語で「淑女の道」を意味し、その名は18世紀にルイ15世の二人の娘が通行したことに由来する。尾根の下には、「竜のすみか」と呼ばれる17世紀の石灰岩採掘で生み出された巨大な洞窟網があり、第一次世界大戦では両陣営に地下壕として使われた。


1917年4月に実施された仏英によるニヴェル攻勢は、喧伝された戦況の打破を成し遂げられず、結果としてフランス軍兵士の間に大規模な反乱をもたらした。そのため、この年の最終攻勢では、シュマン・デ・ダームを主な対象とした、より絞られた作戦目標が設けられた。攻勢に先立ち、口径410mmにおよぶ巨大砲から徹甲弾が放たれ、尾根下の洞窟の天井を破った。この時、フランス軍の砲兵は航空機からの誘導に従い、極めて高い精度の砲撃が行われた。歩兵による攻撃が行われたのは10月23日の夜。進軍は激しい移動弾幕射撃を盾に行われ、砲撃を生き延びたドイツ兵のほとんどが戦争神経症を患うありさまだった。夜空に対抗砲撃を求めるドイツ軍の救難信号弾が打ち上げられるも、フランス軍砲兵はドイツ軍の大砲を効率よく撃破していった。この結果、攻勢に参加した63台のフランス軍戦車への抵抗は極めて小規模となったが、連日の大規模な砲撃により戦場の多くが走破不能と化していた。多くの戦車がぬかるみにはまるか故障したが、21台が予定通りドイツ軍の第2陣地へとたどり着き、敵の機関銃陣地を破壊し、捕虜を取って、大きな戦果を挙げた。10月27日、フランス軍はマルメゾンの村と砦を占領し、シュマン・デ・ダームの尾根を押さえて11,000名を捕虜にした。


こうして成功したマルメゾンの戦いは、1918年の大攻勢に向けて諸兵科連合の有効性を示した。今日においては、この戦いを、悪名高きニヴェル攻勢の「総括」にあたる勝利とする見方もある。

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