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コーデックス/RIBEYROLLES 1918 CARBINE
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RIBEYROLLES 1918 CARBINE リベロル(Ribeyrolles)、サター(Sutter)、ショーシャ(Chauchat)の3人の設計士を抱えるフランスの自転車メーカー、グラディエーターは第一次世界大戦期フランスのオートマチック銃開発において特に重要な成功例をいくつか生み出している。3人は大戦前に後にChauchat軽機関銃となる銃の開発に乗り出し、その後、RSC 1917セミオートライフルを設計した。グラディエーター社はその他にもいくつかのフルオート銃を世に送り出したが、その中に埋もれつつも最も重要と考えられる銃にRibeyrolles Machine Carbine 1918がある。現在、多くから史上初の真のアサルトライフルとみなされている銃である。 フランスは、第一次世界大戦前および大戦中にアメリカのM1907 Self Loadingライフルを大量に購入している。これはフルライフル弾とピストル弾の中間の威力を持つ.351中間弾薬を用いる仕様であった。M1907の多くが「原始アサルトライフル」として塹壕戦で活躍し、この銃と弾薬がフランスの銃設計士たちを刺激することになった。 ポール・リベロルはグラディエーター社のゼネラルマネージャーであり、1916年から専用の試験的中間弾薬8x35 Ribeyrollesを用いたマシンカービン銃の開発を主導してきた。この弾はM1907 .351弾の薬莢の先端を絞ってネックダウンし 、8mm Lebel弾の弾丸と組み合わせたものであった。これが本当の意味での初の中間弾薬の誕生となった。銃自体はコンパクトで、脱着式の装弾数25発のマガジンとセミオート・フルオートのセレクターを装備したブローバック式のカービンであったが、折り畳み式のバイポッドにベルティエ銃剣を取り付けるための着剣ラグも備えていた。Ribeyrolles 1918は、以上の仕様をもって現代において「アサルトライフル」に要求される条件をすべて満たしていた。STG44とAK-47の登場する約30年前である。また、中間弾薬の6.5×50mmSR Arisaka弾(三十年式実包、三八式実包)を使用するロシアのFedorov AvtomatライフルがRibeyrolles 1918より数年早く生み出されており、史上初のアサルトライフルの座を争っている。 Ribeyrollesマシンカービンの最初の軍採用試験は1918年7月に行われたが、RSC 1917と異なり即時採用とはならなかった。RSC 1917は通常の8mm Lebel弾を使用しているために弾薬補給を大幅に単純化できることが重要な違いであった。Ribeyrolles 1918の試験は大戦中継続して行われ、前線での試験の承認も得ていたとする資料もある。試験での8x35 Ribeyrolles弾の有効射程は400mで、当時は不十分とみなされていた。弾薬抜きで5.1kgの重さに対する不満も上がったが、Chauchatの重さは倍近く、MP18も約1kg軽いだけだったことを考えると奇妙な指摘である。 現在は、400mの有効射程はアサルトライフルの要件として十分なものであるが、当時の試験結果やRibeyrolles 1918がバイポッドを装備していた事実からは、この銃は依然として当時の軽機関銃の一つとして主に分隊支援火器的な役割を求められていたことがわかる。アサルトライフルの概念とその名称が生み出されたのが第二次世界大戦の終わりであったことを考えると、これは当然とも言える。1921年、フランス軍は最終的にRibeyrolles 1918の非採用を決定した。この銃は登場が早すぎたとも言え、より正しい理解が得られていたなら、はるかに高い評価を得ていた可能性もある。 コメント |
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